いぼたろうの あれも聴きたい これも聴きたい

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カテゴリ:女声_電気録音( 13 )


2016年 08月 15日

ニノン・ヴァランの縦振動電気録音

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以前、ニノン・ヴァランのパテ・アールで、

「1927年12月に華々しく登場したパテ・アールは、しかし最初の17枚は、電気録音システムの操作に未熟であったせいであろうか音が悪く、カタログに載る間もなく回収された。したがって現在ではほとんど目にすることはできない。 下記のリストの1927年の3枚6面も、1枚か2枚の縦振動のコピーが現存するだけだそうだ。」

と書いている。これの出典はマーストンの復刻CD[1]の解説で、著者のVictor Girardは、かのVertial-cut Cylinders and Discs[2]の共著者でもある。

まず、この「最初の17枚」とはどんなレコードだったのかと調べてみると、
Reconstitution du Catalogue français des Disques Pathé Saphir [3]
で、パテ縦振動レコードのカタログを見つけた。
その中の、
Catalogue des disques Pathé 80 tours
[édités à partir de 1916, mais enregistrés entre 1894 et 1915 (rééditions de 90 tours) et de 1916 à 1932]
のうち、
de 5000 à fin [4]
から、7101~7117番のパテアールを抜き出すと、
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となる。
7102のデータは[5]による。
ニノン・ヴァランは、7108、7109、7115の3枚6面である。
7116は不明である。

その後、7109のカルメン縦振動盤を入手した。
[200914] 17-11-27 7109 Carmen: L'amour est un oiseau rebelle {Habanera} (Bizet)
[200915] 1?-11-27 7109 Carmen: Près des remparts de Seville {Séguedille} (Bizet)
2カラム目は鏡像文字で、1927年11月にメタル原盤が作られたことを示している。

Gerard[1]は「1枚か2枚の縦振動のコピーが現存するだけ」と言っているので、最初、これはとんでもない珍品を入手したかと喜んだが、世の中そんなにうまい話があるはずもなく、さして高価でもなかったので、数はあるのだろうと思われる。
レーベルはブルーで、これまで横振動パテ・アールのブルーレーベルは25cm盤、オレンジレーベルは29cm盤と理解していたが、29cmの縦振動はブルーレーベルを使用して横振動と区別しているようだ。

さらに、前記事では、

「[6]の解説には、ニノン・ヴァランにはアート・レーベル以前に、1927年5月録音の通常の"Paper-label"シリーズ13面があって、これらも非常にレアなものだそうであるが、この中のマトリクス番号200,736を聴いたが紛れもなく電気録音であった、と書かれている。 それで、この著者は、マトリクス番号200,000から電気録音に切り替わったのではないか、という仮説を立てている。」

と書いている。
パテアールは電気録音開始を記念して作られたレーベルだと思っていたが、それに先立つ電気録音もあったようだ。

200,000シリーズについては、Girard & Barnes [2]によると、
・パテの横振動盤(アクチュエール)はマスターシリンダーからダビングによって作られたが、横振動独自のマトリクス番号を持っていた。
・1925年後半、パテは古いマスターシリンダー方式をやめ、普通のレコード製造方式に変えた。
・このとき、マトリクス番号も縦横共通の200,000シリーズに変更された。
・一番若い番号は、200,026であるが、これはAndré Allard (Br)の
 0493 Resurrection : Quand je l'ai vue (Alfano) / Resurrection: O Katucha! (Alfano)
 で、1925年11月から1926年1月の間に発売された。
したがって、これはラッパ吹込みであると考えられる。(追記参照)
ここから、ニノン・ヴァランの200,723までのどこかで電気録音に切り替わったのであろう。

またパテは1926年頃から、縦振動と横振動を同じカタログ番号で並行して発売した。横振動にはプリフィックス"X"を付けて区別した。
それでは、縦振動盤はいつ頃まで発売されたのだろうか?
調べてみると、Museum Of Obsolete Media [7]で、
Pathé vertical-cut records continued to be sold in France until 1932.
という記述を見つけた。
フランスでは1932年まで発売されていたようである。

本当はここでニノン・ヴァランのディスコグラフィーをまとめたいところであるが、前に書いたように、500面近くあるので、とても手に負えない。
そこで、ニノン・ヴァランの縦振動電気録音盤をリストアップしてみることにした。
リストは[6]を元にして、[1 - 4]と照合した。資料間で差異がある場合は一番新しい[6]を優先した。
2カラム目が縦振動のカタログ番号、一番右のカラムが横振動のカタログ番号である。
その右の()内は回転数を表す。
7000番台は29cm、2000および3000番台は25cm盤である。

これを見ると、1927年は縦振動と横振動がほぼ並存しているが、年を追うごとに縦振動盤が少なくなってきているのがわかる。
そして、1931年2月の録音を最後に、ニノン・ヴァランの縦振動録音は姿を消す。

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by ibotarow | 2016-08-15 09:09 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 30日

メタ・ザイネマイアのディスコグラフィー

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前回のアイデ・ノレナ(1884-1968) とともに、ディスコグラフィーを作りたいなと思っていたのが、ロバート・バウアーとハロルド・ウエインご両人が絶賛する、ドイツのソプラノ、メタ・ザイネマイア(1895-1929)です。
彼女の魅力は、アイデ・ノレナとは対照的な、濃密な色香あふるるフルボディの歌唱です。

ザイネマイアは1929年に33歳の若さで白血病で亡くなりましたが、もし生き永らえば間違いなくその時代の理想的なイゾルデやブリュンヒルデになったであろうと、復刻CD[1]の解説に書いてありました。
それは、ワルキューレ第1幕のジークリンデを聴けば十分窺い知ることができます。

ザイネマイアにはホームページ[2]があって、そこにディスコグラフィーのデータが載っているので、作ろうと思えばいつでも作れたのですが、彼女の代表作(だとボクが勝手に思っている)ワルキューレ第1幕フィナーレのレコードを入手してからと思っているうちに10年近くたってしまいました。
アイデ・ノレナのディスコグラフィーを作った勢いで、この機会にB&Dをまとめておきます。
まずバイオグラフィーは[2]に詳細な記述がありますが、抄出すると、

1895年9月5日、刑事の父 Wilhelm Seinemeyerと、母 Anna Seinemeyerの娘としてベルリンで生まれる。
1911-1917?年、音楽の教育はシュテルン音楽院で始まり、ベルリン高等音楽学校に進んだ。
1918年7月1日、Berlin-Charlottenburg Opera で、オペラ・デビューを果たした。
1923年1月から4月にかけて、彼女はGerman Opera Company の一行とともにUSツアーに行った。
1924年11月29日、ザイネマイアは、ドレスデン国立歌劇場にゲスト出演し、直ちに契約した。ドレスデンは、終生、ザイネマイアのホームグラウンドとなった。
1925年11月17日、彼女はパーロフォンに最初のレコーディングを行った。この録音はまた、指揮者フリーダー・ワイスマン(1893-1984)との仕事上の(と個人的な)関係の始まりとなった。
1926年3月20日、ザイネマイアは「運命の力」のドレスデン初演でレオノーラを歌った。彼女はこの出演で有名になったが、同時に、白血病の最初の兆候を示した。
1927年5月20日、ジュネーブの国際音楽祭、6月22日および24日、ウィーン国立歌劇場、8月5日、ベルリン国立歌劇場に出演。
5月-8月、ブエノスアイレスのコロン劇場その他に出演、しかし病気のため、南米滞在は短くカットせざるを得なかった。
1929年5月3日、最後の録音「さまよえるオランダ人」が行われたが、完璧主義者の彼女は満足できなかった。ロンドンから戻った後で再録音する予定であったが、その時には録音に耐えられないほど体調が悪くなっていた。
5月9-21日、ザイネマイアはロンドンのコヴェント・ガーデンで5つの公演を行い、高く称賛された。彼女の病気は秘密にされたので、批評家のいずれもが、彼女が病気だったとは知らなかった。
彼女はロンドンでインフルエンザに罹り、白血病のため、回復が思わしくなかった。治療のためにスイスとバイエルンのバートキッシンゲンに行ったが、治療の効果がなかった。彼女は8月の初めにドレスデンに戻った。
8月19日、ザイネマイアは病院のベッドの上で、長年の婚約者フリーダー・ワイスマンと結婚式を挙げた。 そして、その日の夕方に亡くなった。

ディスコグラフィーは[2]を元に、Christian Zwargによる資料[3-5]を参照して校訂しました。
資料間のデータの差異は、あきらかな論理的矛盾を別にして、[3-5]の記述を優先しました。
Artiphonの録音年に関しては、[6]の記述を参考にしましたが、これも出所はChristian Zwargです。

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by ibotarow | 2016-07-30 08:42 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 27日

アイデ・ノレナのディスコグラフィー

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8年ほど前、一枚の深い青色のシェラックレコード(Columbia G-7302-M)を入手した。
米コロムビアが1932年12月にリリースした"Royal Blue" recordである。
[1]によると、米コロムビアは1923年12月に"New Process" recordを発表したが、これは、硬い芯材の上下に、微粒子のシェラックをラミネートした、"virtually noiseless" recordであった。
"Royal Blue" recordは、それまでの"New Process" recordに比べて、より静かであると宣伝している。

曲目は、
グノーの「ロメオとジュリエット」のワルツ、
それに
マイヤベーアの「ユグノー教徒」から、マルグリットのアリア 、'O beau pays de la Touraine!' (おお、美しきトゥレーヌ)。

15 Feb 1930, Paris, w. orch, Henri Defosse (cond)
[xxP6781-4] 123.604Roméo et Juliette: Je veux vivre (Gounod)
[xxP7042-2] 123.636Les Huguenots: O beau pays de la Touraine (Meyerbeer)

歌っているのは、ノルウェー生まれのソプラノ、Eidé Norena (1884-1968)。
何よりも、ストレス・フリーにどこまでも気持ち良く伸びる、清澄な声に魅せられた。

その時以来、彼女のディスコグラフィーを作りたいと思っていたが、Record Collector誌には彼女の記事は見られず、そのままになっていた。
つい最近、フェイスブックで、RC誌のエディター、Larry Lustigのページ[3]を見つけ、2015年12月号に彼女の特集記事があるのに気が付いた。
そこで、RC誌を定期購読されているmr.hmvさんにお願いして、ディスコグラフィー[4]のコピーを送っていただいた。
見ると、Larry Lustigその人の作成になるディスコグラフィーであった。
これで、やっと8年来の懸案事項が解消される。

ウィキペディア[2]によると、
Kaja Andrea Karoline Hansenは1884年、ノルウェーのHoltenで、海軍軍人の父Gullik Hansenと母Susanne Anette Marie Møllerの3番目の娘として生まれた。
彼女の声はホルテンの教会聖歌隊で見出された。
1903年12月2日、最初のコンサートがホルテンで行われた。
1905年3月18日、Christiania(現オスロ)でデビューした。
Nationaltheatretの指揮者Bjørn Bjørnsonは、彼女の声を聴き、彼の劇場に迎えた。
彼女の最初の役は、Madama ButterflyのSuzukiであった。1年後、そのオペラの主役を歌うことができた。
それから10年ほど、彼女はNationaltheatretや、Central Teatreで、Mignon, The Barber of Seville, La Traviata and Rigoletto等の役を歌った。
1909年、彼女はNationaltheatreの俳優Egil Eide Næssと結婚したが、1939年に離婚した。

彼女は声にさらに磨きをかけるため、ロンドンのRaimond von der Mühlenのレッスンを受けた。
1924年、かくて彼女はミラノのスカラ座で第2のデビューを果たした。40歳であった。
その頃から、Eide Norenaのステージネームを使用した。
コベントガーデン、パリオペラ座、、シカゴ、メトロポリタン、ザルツブルグ音楽祭等で歌った。
彼女の好きな役は、リゴレットのギルダであった。
1938年、パリ・オペラ座で最後の舞台に立った。
1939年2月26日、故郷ホルテンで、告別演奏会を行った。
1940年、ナチがパリに侵攻すると、スイスのジュネーブに居を移し、1968年、ローザンヌで亡くなった。

ディスコグラフィーは、[4]を下敷きにして[5]と照合しながら、フォーマットを整えるためワードで作り、pdfからjpegに変換した。
なお、○印は[5]の復刻CDで、電気録音の発売されたものについては、ほとんどが収録されている。
また、YoutubeのURLは確認できたもののみ記載した。

この中で、
26 Sep 1932, Paris, w. orch, Piero Coppola (cond)
[2PG50-2] 52-1124La Traviata: Ah, fors'è lui (Verdi)
の日本盤RL-3(邦題:「椿姫」~あゝそは彼の人か)は、ビクター洋楽愛好家全集第1集[6]にシャリアピンやティボー等、錚々たるメンバーに並んで収録されている。
戦前から有名だったのかしら?と思って、あらえびすの「名曲決定盤」を見ると、
「ビクターで一番若くて人気のある歌い手だ。ややナイーヴな荒さを感じさせるが、それだけ野性的な美しさがあるとしたものだろう。ぐいぐいと人に迫る若さと魅力がある。」
とある。
この本は昭和14年刊行だから、ノレナはその時すでに50代半ばに達していて、決して若いとは言えないと思うが。
それに、荒さがあるとも、野性的とも思わない、むしろ清純可憐な趣があると思うが。
ちなみに、[5]の解説の題名は、"Eide Norena, The Snow Fairy"である。「雪の妖精」こっちの方がずっとしっくりくる。

最後に、今回も大変お世話になったmr.hmvさんに厚く感謝に意を表する。

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by ibotarow | 2016-06-27 19:36 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 17日

フリダ・ライダーのBrünnhildes Schlußgesang

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Frida Leider (1888-1975)は、[1]によると、1888年4月18日ベルリンで、大工の父Ernst Leiderと母Annaの娘として生まれた。
貧しくてきびしい生活だったけれど、両親はたった一人の娘のために立派な教育を与えた。
しかし父が若くして亡くなったため、教師になるためのトレーニングは道半ばで途絶した。
彼女は銀行に勤め始めたが、すぐに歌手になる決心をした。そして経済的困難にもかかわらず彼女は道を貫いた。
1915年にHalleでタンホイザーのVenusでデビュー、その後いくつかの劇場に出た後、
1919年にハンブルグのオペラハウスと契約、そこで1923年までいろんなレパートリーをこなした。
ドイツ・グラモフォンとの録音もこの期間に行われた。
1921年、ベルリン国立歌劇場と契約する夢がかなったが、ハンブルグの契約があったため1923年まで待たなければならなかった。
ベルリンでの成功の後、国際的歌手としてのキャリアが始まった。
ミラノ・スカラ座、パリ・グランド・オペラ、ウィーン国立歌劇場、等々に出演した。
1924年から38年までは、コベント・ガーデン王立オペラ劇場でワーグナーのスター歌手であった。

1930年、ベルリン国立歌劇場のコンサート・マスターRudolf Demanと結婚。
Demanはユダヤ人であったために、ヒトラーが政権を握ると、彼と彼の妻に圧力をかけてきた。
最初、彼のオーストリア市民権はいくらかは防御となった。しかし、1938年の「オーストリア併合」の後は、彼は危険にさらされ、間一髪でスイスに逃れた。
この出来事は、フリダ・ライダーに深刻な精神的危機をもたらし、彼女は長時間ステージに立つことができなくなった。
この頃のことは、最近入手した彼女の自伝"Playing my part"[2]に詳しいようだが、読んでいないので割愛する。
彼女は1975年6月4日、ベルリンで亡くなった。

なぜ読みもしない自伝を入手したかというと、Harold Burros作成のディスコグラフィーが載っているからである。
ただ、これはカタログ番号順で、録音年月日も記載されていなかったので、Preiser[3-5]およびTruesoud Transferのトラック・リストをもとにしていつものフォーマットに整えた。

フリダ・ライダーのアコースティック・ポリドールは、ロバート・バウアーの称賛するところであるが、今回リストを作ってみると、全吹き込みの約6割を占めている。
しかし、なかなか見かけないし、あっても高価で手が出ない。復刻CDで我慢するしかない。
復刻CDで聴く1925年、26年のラッパ吹き込みの音は、電気録音よりも輝かしい声が捉えられていて素晴らしい。

このリストを見て感慨深いのは、1940年代に入っても、イギリス資本のエレクトローラがベルリンで録音できたということである。
ナチスドイツは、音楽の輸出には寛大だったと何かで読んだことがあるが、それにしても驚いた

写真は、「神々の黄昏」の終焉部で、俗に「ブリュンヒルデの自己犠牲」と称されている部分である。
有名な、フラグスタート/フルトヴェングラーのレコードにも"Brünnhilde's Immolation"と麗々しく書いてあるが、どうもボクにはこの呼び名がしっくりこない。
ほかにもっと相応しい名称はないものかと思っていたが、このレコードには、"Brünnhildes Schlußgesang"と書いてある。
直訳すると「ブリュンヒルデの最後の歌」、この方がずっといい。

これは、1928年10月26日の録音であるが、電気録音が導入されて3年たち、機械の使いこなしにも慣れたのか、今日聴いても十分満足できる音が録られている。
7歳年下のキルステン・フラグスタート (1895-1962)は、声の透明度で勝るが、力強さはフリダ・ライダーが勝る。
ワーグナーの思い描いた、ワルキューレ(戦乙女)としてのブリュンヒルデ像により近いのではないかと思う。
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by ibotarow | 2011-09-17 10:01 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(1)
2010年 01月 31日

ジェラルディン・ファーラーの「歌の翼に」

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このたび標記のレコードを入手した。1927年のVictor未発売電気録音で、IRCCの原盤が流出して何者かがビニルプレスしたものらしい。無銘の黒レーベルである。
このセッションの録音はマーストンがほとんど復刻[1]しているので、ディスコグラフィーをトラックリストからコピーペーストして作った。
このところ手抜きが激しいが、ついでに、同復刻CDからマーストン自身の解説も抄訳した。

ジェラルディン・ファーラー(1882.2/28~1967.3/11)は、1922年にオペラ歌手を引退した。彼女の最後のVictor録音は1923年に発売された。
しかし、電気録音の出現で、彼女は一連の録音セッションのため、再びVictor の録音スタジオに入った。1927年の1月から4月にかけて、別テイクを含む13曲、35面を録音した。
これらの録音はその時は、すべて発売を拒絶されたけれども、1930年代に、International Record Collector’s Clubが4面をオリジナル・マスターからプレスして、また2面をファーラー自身のテストプレスからダビングして復刻した。
これらのレコードの多くは生き残ったが、13曲のうち、2曲は失われた。このCDには、生き残った11曲と、そのうち2曲のリテイクを含む13面が収録されている。
メンデルスゾーンの「歌の翼に」は、ファーラーが英語とドイツ語で歌った2面が収録されている。また、これらの2つのバージョンのピアノ伴奏もわずかに異なることを指摘しておくべきであろう。(訳者注:このあたりマーストンの面目躍如たるものがありますねえ。ボクらはこの盲目の天才復刻師と同時代を生きていることを感謝しましょう。)
ロッティの「美しい唇よ、お前は言ったのだ」も、ファーラーの歌唱が異なるため2つのテイクが収録されている。

残念ながら、これらの録音がなぜ発売されなかったかは上の解説には書かれていなかった。
識者のご教示を乞う次第である。

さて、「歌の翼に」であるが、写真の6時の位置にIRCC-41Aの陽刻が見える。12時の位置には電気録音を示すVEマークが見える。またセンタースピンドル孔のそばに手書きのWの文字が見える。
刻印はそれだけで、マトリクス番号は残念ながら消されているようだ。

この頃のファーラーは既に40代半ばで、声には往年の色気と勢いは失われているが、おだやかな光を放つ、深い表現力を身に付けている。
まるで母親の子守歌を聴いているような心地良さであるといえばわかっていただけるだろうか。


Victor Talking Machine Company, Camden, New Jersey, Electrical Recordings

11 January 1927
CVE 37348-1 Pur dicesti (Lotti) IRCC-40
CVE 37349-1 LE NOZZE DI FIGARO: Dove sono (Mozart) Recitative and Andante section only IRCC-40
CVE 37350-1 On wings of song [Auf Flügeln des Gesanges] (Mendelssohn)
BVE 27731-3 Serenade [Ständchen] (Richard Strauss) (Translated by Ferrar) IRCC-55

12 January 1927
BVE 37351-2 LE NOZZE DI FIGARO: Non so piu cosa son (Mozart)
matrix number unassigned FRASQUITA: Rest with the dew of the dawning (Farrar; Lehar) IRCC-1953 re-recording

13 January 1927
BVE 37354-1 Midnight bells (Fritz Kreisler) IRCC-79 re-recording
BVE 37356-1 Christina’s lament {Humoresque} (Creyke-Dvorak) IRCC-41

8 March 1927
BVE 38147-1 Hame to the highlands (M. Gilmour)
BVE 38146-1 Drowsy poppies (M. Gilmour)
BVE 26034-9 Serenata (Tosti)
BVE 38145-1 Pur dicesti (Lotti)

5 April 1927
BVE 37350-6 Auf Flügeln des Gesanges (Mendelssohn) IRCC-41


Reference
[1] Geraldine Farrar, Berlin G&Ts 1904-1906, Victor electrical recordings 1927 and Bell Telephone Laboratories experimental recordings 1932, Marston 52040-2 (2003).
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by ibotarow | 2010-01-31 06:22 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 08日

ニノン・ヴァランのパテ・アール

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先のキュルティで、パテの電気録音切り替わり前後の事情に興味が出て、パテに大量の録音を残しているニノン・ヴァランのディスコグラフィーを調べてみた。

ニノン・ヴァラン、本名Eugénie Vallin (1886-1961)のレコードは、mr.hmvさんからお借りしたRC誌[1]によると、500面近くある。
最初期の録音は、1913年のパテ"Etched-label"である。6面の内、4面が発売された。
次いで、1914年にフレンチ・グラモフォンに吹き込んだが、9面の内、2面しか発売されなかった。

というふうに書いていくと、とても終わらないので、パテが新しくWestern Electric社から電気録音システムを導入して1927年10月から録音を開始した、"Art-label"のみに限定する。
これはマーストンがすべてを復刻しているので[2]、サイトからトラック・リストをコピー・ペーストして、いつものフォーマットに整えた。こういうのがあると非常にラクチンである。
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このレーベルは最初、29cmと30.5cmの2種類が発売されたが、1929年ごろ25cmが加わり、30.5cmは他社と同じ30cmにサイズダウンされた。1928年ごろには下のリストでわかるように、同じ演奏で30cmと30.5cmが混在するものがある。

1927年12月に華々しく登場したパテ・アールは、しかし最初の17枚は、電気録音システムの操作に未熟であったせいであろうか音が悪く、カタログに載る間もなく回収された。したがって現在ではほとんど目にすることはできない。
下記のリストの1927年の3枚6面も、1枚か2枚の縦振動のコピーが現存するだけだそうだ。

復刻CD[2]の最初の6トラックを聴いたとき、なんでこんなに音が歪んで聴き苦しいものを復刻したんだろ、と思ったが世にも稀な音源だったのね。これらは1928年に再録音された。

また、先のキュルティでも引用した文献[3]によると、少なくともマトリクス番号201,000以降が電気録音だという説明であったが、実際はもう少し前から電気録音になっていたようだ。

[1]の解説には、ニノン・ヴァランにはアート・レーベル以前に、1927年5月録音の通常の"Paper-label"シリーズ13面があって、これらも非常にレアなものだそうであるが、この中のマトリクス番号200,736を聴いたが紛れもなく電気録音であった、と書かれている。
それで、この著者は、マトリクス番号200,000から電気録音に切り替わったのではないか、という仮説を立てている。

また、[3]の説明では、電気録音は、"W"のマークがあると書かれている。[1]のディスコグラフィー氏は、文献[3]をかなり意識しているようで、あれにはこう書いてあるけど、私はこう思う、というたぐいの文章がたびたび出てくるが、"W"に関しても、見たことはないと書いている。

写真のX7149 [201283] Chant Hindouには、金襴緞子のようなレーベルの下に確かに刻印はあるが、"W"には見えない。
録音技術は、この頃には安定していたようで、初期電気録音らしい、高域の華やかさが感じられる。
ただし、この盤には終わり頃に、ニードル・ドロップによる傷があり1,2溝スキップする。もっとも、3割ほど値切って買ったので文句は言えないが。

Ninon Vallin Pathé-Art Label Recordings

October 1927
200912 7108 LA BOHÈME: On m'appelle Mimi {Mi chiamano Mimi} (Puccini) [3:38] (29 cm)
200913 7108 LA BOHÈME: Les adieux de Mimi {Donde lieta uscì} (Puccini) [2:55] (29 cm)
200914 7109 CARMEN: Habanera (Bizet) [2:42] (29 cm)
200915 7109 CARMEN: Séguedille (Bizet) [1:57] (29 cm)
200929 7115 MADAMA BUTTERFLY: Sur la mer calmée {Un bel dì vedremo} (Puccini) [3:18] (29 cm)
200930 7115 LOUISE: Depuis le jour (Charpentier) [3:13] (29 cm)

July 1928
201270 x7145 LA BOHÈME: On m'appelle Mimi {Mi chiamano Mimi} (Puccini) [3:33] (29 cm)
201271 x7145, x7156 LA BOHÈME: Les adieux de Mimi {Donde lieta uscì} (Puccini) [2:55] (29 cm)
201272 x7143, x7156 MADAMA BUTTERFLY: Sur la mer calmée {Un bel dì vedremo} (Puccini) [3:14] (29 cm)
201273 x7143 LOUISE: Depuis le jour (Charpentier) [3:33] (29 cm)
201274/5 x7144 THAÏS: Scène du miroir (Massenet) [5:53] (29 cm)
201276 x7146 Siete Canciones Populares Españolas: Seguidilla murciana (de Falla)[1:08] (29 cm)
201276 x7146 Siete Canciones Populares Españolas: Nana (de Falla)[1:12] (29 cm)
201277 x7146 Siete Canciones Populares Españolas: Jota (de Falla)[3:00] (29 cm)
201282 x7149 Le Nil (Leroux) [3:32] (29 cm)
201283 x7149 SADKO: Chant hindou (Rimsky-Korsakov) [3:36] (29 cm)
201284 x7147 CARMEN: Habanera (Bizet) [2:38] (29 cm)
201285 x7147 CARMEN: Séguedille (Bizet) [1:51] (29 cm)
201286 x7148 CARMEN: Les tringles des sistres (Bizet) [3:07] (29 cm)
201287 x7148 CARMEN: Air des cartes (Bizet) [3:06] (29 cm)
201429 x7166 MANON: Voyons, Manon (Massenet) [3:56] (30 cm and 30.5 cm)
201430 x7166 MANON: Allons! il le faut... Adieu, notre petite table (Massenet) [3:47] (30 cm and 30.5 cm)
201431 x7165 MANON: Je suis encore tout étourdie (Massenet) [3:39] (30 cm and 30.5 cm)
201432 x7165 MANON: A nous les amours (Massenet) [2:31] (30 cm and 30.5 cm)
201439 x7168 TOSCA: Prière de Tosca {Vissi d'arte} (Puccini) [3:24] (30.5 cm)
201440 x7168 TOSCA: Notre doux nid {No, Mario mio} (Puccini) [4:06] (30.5 cm)
201441 x7167 LE NOZZE DI FIGARO: Récit et air de Suzanne {Deh vieni non tardar} (Mozart) [4:16] (30.5 cm)
201442 x7167 DON GIOVANNI: Air de Zerline {Batti, batti} (Mozart) [3:45] (30.5 cm)

1929
202423/4 x7225 MANON: Duo de la rencontre (Massenet) [8:42] with Miguel Villabella, tenor (30 cm)
202438 x7226 Panis angelicus (Franck) [3:57] (30 cm)
202439 x7226 Voici le Noël (arr. Tiersot) [3:53] (30 cm)
202442 x3460 Siete Canciones Populares Españolas: Canción (de Falla)[1:04] (25 cm)
202442 x3460 Siete Canciones Populares Españolas: Polo (de Falla)[1:24] (25 cm)
202443 x3460 Siete Canciones Populares Españolas: El paño moruno (de Falla)[1:09] (25 cm)
202443 x3460 Siete Canciones Populares Españolas: Asturiana (de Falla)[1:58] (25 cm)
202466 x7227 LES CONTES D'HOFFMANN: Elle a fui, la tourterelle (Offenbach) [4:07] (30 cm)
202467 x7227 MANON: Je marche sur tous les chemins (Massenet) [3:48] (30 cm)
202462 x7228 FAUST: Ballade du roi de Thulé (Gounod) [4:39] (30 cm)
202463 x7228 FAUST: Air des bijoux (Gounod) [3:49] (30 cm)
202464/5 x7229 THAÏS: Scène du miroir (Massenet) [6:22] (30 cm)
202476 x7230 L'Invitation au voyage (Duparc) [3:52] (30 cm)
202477 x7230 Chanson triste (Duparc) [3:10] (30 cm)
250021/2 x7233 LE ROI D'YS: Margared, ô ma soeur... En silence pourquoi souffrir (Lalo) [6:50] with Madeleine Sibille, soprano (30 cm)

References
[1] F. Juynboll, R. Bebb and D. Mason, "Ninon Vallin Discography", Record Collector, Vol.48, No. 2 (June 2003)
[2] Ninon Vallin The Complete Pathé-Art Label Recordings 1927-1929, Marston 52006-2 (1996)
[3] V. Girard and H. M. Barnes, "Vertial-cut Cylinders and Discs", British Institute of Recorded Sound (1964)
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by ibotarow | 2009-11-08 11:28 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(7)
2009年 01月 25日

ファリャの7つのスペイン民謡

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Manuel de Fallaは、1876年11月23日スペイン最南端のカディスで生まれた。
1907年から1914年までパリに住み、当時パリにいた多くの芸術家と交流した。
第一次世界大戦勃発でマドリッドに戻り、作曲活動に専念した。恋は魔術師G.44や三角帽子G.53はこの時期に作られた。
ちなみに、1917年の三角帽子初演時の舞台・衣装デザインは、ピカソが担当したそうである。
1915年に作曲した、「7つのスペイン民謡(Siete Canciones Populares Espanolas)G.40」は、同じスペインのソプラノ、マリア・バリエントスと作曲者自身のピアノによって、1927-28年にフレンチ・コロムビアに吹き込まれた。
バリエントス最初で最後の電気録音である。前報に挙げたディスコグラフィーを再掲する。

1927-28 (France)
WLX 308.2 El pano moruno/Seguidilla murciana (De Falla) D11701 52079X 264952
WLX 309-1 Asturiana (De Falla) D11701 52079X 264952
WLX 310 Jota (De Falla) PFX1
WLX 1368-2 Nana/Cancion (De Falla) PFX1
WLX 1369-2 Soneto a Cordoba (De Falla) PFX2
WLX 1415-2 Polo/Chanson du Feu Follet (De Falla) PFX2

3枚6面に9つのスペイン歌曲(Sept Chanson Populaires Espagnoles)が吹き込まれているが、1枚目には「7つのスペイン民謡」から、
第1曲 ムーア人の織物(El pano moruno)」
第2曲 ムルシア地方のセギディーリャ(Seguidilla murciana)
第3曲 アストゥーリアス地方の歌(Asturiana)
が、2枚目には、
第4曲 ホタ(Jota)
第5曲 ナナ(Nana)
第6曲 カンシオン(歌)(Cancion)
が収録されている。最後の、
第7曲 ポロ(Polo)
は、
恋は魔術師からきつね火の歌(Chanson du Feu Follet)
コルドバへのソネット(Soneto a Cordoba)G.72(1927)
とともに、3枚目に収録されている。

復刻CD[1]でこれらを聴くにつけ、オリジナルSPを聴いてみたいものだと思っていたが、このたび幸運にも、1枚目のD11701と2枚目のPFX1が手に入った。
1927,8年といえば、バリエントスは40代初め、ファリャは50代初めの録音である。
バリエントスは1922年に舞台を引退して、この頃はフランスに住んでいたが、声に衰えは感じられない。
ファリャのピアノが少し遠いのが残念であるが、これは初期の電気録音の特徴であろう。

ホタ(Jota)は、どこかで聴いたことのあるメロディーで、三角帽子あたりに使われているのかもしれないが、これら6曲のスペイン民謡は、甘さがまったく無く、ヒリヒリとした乾いた情感が身に沁みる。

二人は奇しくも同じ1946年に、バリエントスはフランスのSaint-Jean-de-Luzで、ファリャはアルゼンチンのコルドバで亡くなった。
なお、作品番号および日本語題名は[2]による。

References
[1] MARIA BARRIENTOS, Fonotipa Recordings 1905-6, Columbia Electric Recordings 1928, OPAL CD 9852 (1992)
[2] http://www.interq.or.jp/classic/classic/data/perusal/saku/Falla.html
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by ibotarow | 2009-01-25 11:51 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(2)
2008年 02月 03日

フラグスタートの初期電気吹き込み

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フラグスタートは1913年12月12日にデビューしたが、このときはまだ学生であった。翌1914年に2度目の舞台を踏んだ。オデオンの録音はこの頃行われたことになる。
第1次大戦中は目立った活動はしなかったようだ。1919年に彼女はSigurd Hallと最初の結婚をし、翌年、娘Elseが生まれた。
その後、オスロでオペレッタやレヴュー、ミュージカル・コメディの舞台で修行を積んだ。そして1928年にスエーデンのオペラ劇場と契約した。
彼女はこの年に離婚し、1930年にHenry Johansennと2度目の結婚をした。

1923年10月1日にHMVに4面2枚を吹き込んだ後、しばらく録音は途絶えていたが、1929年1月19日オスロで、HMVに初めての電気吹込みを行った。
このときのセッションでは、6面3枚の歌曲が2テイクずつ吹き込まれ、下のリストのテイクが1月から2月にかけて発売された[1]。
曲目は1923年の吹き込みと2曲が重複しており、X1940とX2975が同じ曲目の組み合わせである。

H.M.V. 19 Jan 1929 (Oslo)
X2974 [BN 190Ⅰ] Sne (Sigurd Lie) piano by Alnaes
X2974 [BN 191Ⅱ] Lykken mellom to mennesker, op. 26 no. 1 (Eyvind Alnaes) composer at the piano
X2975 [BN 192Ⅱ] Saterjentens Sondag (Ole Bull) small orchestra
X2975 [BN 193Ⅰ] Solveigs sang, op. 23 no. 1 (Edvard Grieg) small orchestra
X3068 [BN 194Ⅰ] Millom rosor, op. 39 no. 4 (Edvard Grieg) orchestra
X3068 [BN 195Ⅰ] Modersorg, op. 15 no. 4 (Edvard Grieg) orchestra

なお、[1]のディスコグラフィーには載っていないが、先般入手した復刻CD[2]には、1930年1月にオスロで行われたColumbiaへの吹き込みが4面2枚収録されている。同時期の録音がこの他にもあるかどうかは不明である。

Columbia Jan 1930 (Oslo)
DN53 [WN 67] Sidste reis, op. 17 no. 2 (Eyvind Alnaes)
DN23 [WN 68] A.B.C.-Viser (Palenz)
DN23 [WN 69] Lille-Barnet (Thommesen)
DN53 [WN 70] Ingrid Sletten av Sillejord (Rikard Nordraak)

最近、1929年のHMV2枚を入手した。X2974とX2975である。盤面の名前は、最初の夫の姓を付けて、Kirsten Flagstad Hallを名乗っている。
1913,4年のオデオンや1923年のHMVは、それぞれの年代でしか唄えない美しさはあるにしても、この2枚には、表現のしなやかさ、スケールの大きさ等、成長のあと著しいものが感じられる。オスロ時代の修行の賜物であろう。
もっとも、一時期、IRCCがX2975を再プレスしようとしたが、フラグスタート自身の反対によって中止されたそうである。本人にとってみれば、未熟な出来だったのかもしれない。

この後、フラグスタートは1933年から2年間バイロイトと契約した後、1935年、メトにデビュー、裂帛の気迫を身に纏ったワーグナー・ソプラノへと変貌するのであるが、上の録音は、その前段階の、たおやかな乙女の雰囲気を残す歌唱として貴重である。


References
[1] J. Dennis, "Kirsten Flagstad", The Record Collector, Vol. VII, No. 8, (August, 1952) 173-190.
[2] KIRSTEN FLAGSTAD VOLUME I: The Early Recordings 1914-1941, SIMAX PSC1821 (1995)
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by ibotarow | 2008-02-03 11:51 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(0)
2007年 07月 29日

ゲルハルトの電気録音その2

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前報[1]に引き続き、Linda Austwickによるバイオグラフィー[2]、Desmond Shawe-Taylorによる録音解説[3]、およびAlan Kelly & Ian Cosensによるディスコグラフィー[4]をもとに、ゲルハルトの電気録音後期のセッションをリストアップする。
後期は、1931年のヴォルフ歌曲集(31-34)と、1939年(36-38)、および1947,48年(39-41)の、2つのプライベート録音に大別される。

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by ibotarow | 2007-07-29 07:06 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(0)
2007年 07月 16日

ゲルハルトの電気録音その1

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先日、新宿のタワーレコードへ久しぶりに行ったら、エレナ・ゲルハルトのシューベルトの歌曲を集めた、DUTTONの復刻CD[1]を見つけ、いそいそと購入した。すべて1920年代の電気録音である。
それで、前報[2]の続きとして、電気録音のリストを作る気になった。 ただし、とりあえず、彼女の録音のピークといわれている1929年までである。
ソースは前回と同じ、Alan KellyとIan Cosensによるディスコグラフィー[3]である。

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by ibotarow | 2007-07-16 07:42 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(0)