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2016年 06月 27日

アイデ・ノレナのディスコグラフィー

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8年ほど前、一枚の深い青色のシェラックレコード(Columbia G-7302-M)を入手した。
米コロムビアが1932年12月にリリースした"Royal Blue" recordである。
[1]によると、米コロムビアは1923年12月に"New Process" recordを発表したが、これは、硬い芯材の上下に、微粒子のシェラックをラミネートした、"virtually noiseless" recordであった。
"Royal Blue" recordは、それまでの"New Process" recordに比べて、より静かであると宣伝している。

曲目は、
グノーの「ロメオとジュリエット」のワルツ、
それに
マイヤベーアの「ユグノー教徒」から、マルグリットのアリア 、'O beau pays de la Touraine!' (おお、美しきトゥレーヌ)。

15 Feb 1930, Paris, w. orch, Henri Defosse (cond)
[xxP6781-4] 123.604Roméo et Juliette: Je veux vivre (Gounod)
[xxP7042-2] 123.636Les Huguenots: O beau pays de la Touraine (Meyerbeer)

歌っているのは、ノルウェー生まれのソプラノ、Eidé Norena (1884-1968)。
何よりも、ストレス・フリーにどこまでも気持ち良く伸びる、清澄な声に魅せられた。

その時以来、彼女のディスコグラフィーを作りたいと思っていたが、Record Collector誌には彼女の記事は見られず、そのままになっていた。
つい最近、フェイスブックで、RC誌のエディター、Larry Lustigのページ[3]を見つけ、2015年12月号に彼女の特集記事があるのに気が付いた。
そこで、RC誌を定期購読されているmr.hmvさんにお願いして、ディスコグラフィー[4]のコピーを送っていただいた。
見ると、Larry Lustigその人の作成になるディスコグラフィーであった。
これで、やっと8年来の懸案事項が解消される。

ウィキペディア[2]によると、
Kaja Andrea Karoline Hansenは1884年、ノルウェーのHoltenで、海軍軍人の父Gullik Hansenと母Susanne Anette Marie Møllerの3番目の娘として生まれた。
彼女の声はホルテンの教会聖歌隊で見出された。
1903年12月2日、最初のコンサートがホルテンで行われた。
1905年3月18日、Christiania(現オスロ)でデビューした。
Nationaltheatretの指揮者Bjørn Bjørnsonは、彼女の声を聴き、彼の劇場に迎えた。
彼女の最初の役は、Madama ButterflyのSuzukiであった。1年後、そのオペラの主役を歌うことができた。
それから10年ほど、彼女はNationaltheatretや、Central Teatreで、Mignon, The Barber of Seville, La Traviata and Rigoletto等の役を歌った。
1909年、彼女はNationaltheatreの俳優Egil Eide Næssと結婚したが、1939年に離婚した。

彼女は声にさらに磨きをかけるため、ロンドンのRaimond von der Mühlenのレッスンを受けた。
1924年、かくて彼女はミラノのスカラ座で第2のデビューを果たした。40歳であった。
その頃から、Eide Norenaのステージネームを使用した。
コベントガーデン、パリオペラ座、、シカゴ、メトロポリタン、ザルツブルグ音楽祭等で歌った。
彼女の好きな役は、リゴレットのギルダであった。
1938年、パリ・オペラ座で最後の舞台に立った。
1939年2月26日、故郷ホルテンで、告別演奏会を行った。
1940年、ナチがパリに侵攻すると、スイスのジュネーブに居を移し、1968年、ローザンヌで亡くなった。

ディスコグラフィーは、[4]を下敷きにして[5]と照合しながら、フォーマットを整えるためワードで作り、pdfからjpegに変換した。
なお、○印は[5]の復刻CDで、電気録音の発売されたものについては、ほとんどが収録されている。
また、YoutubeのURLは確認できたもののみ記載した。

この中で、
26 Sep 1932, Paris, w. orch, Piero Coppola (cond)
[2PG50-2] 52-1124La Traviata: Ah, fors'è lui (Verdi)
の日本盤RL-3(邦題:「椿姫」~あゝそは彼の人か)は、ビクター洋楽愛好家全集第1集[6]にシャリアピンやティボー等、錚々たるメンバーに並んで収録されている。
戦前から有名だったのかしら?と思って、あらえびすの「名曲決定盤」を見ると、
「ビクターで一番若くて人気のある歌い手だ。ややナイーヴな荒さを感じさせるが、それだけ野性的な美しさがあるとしたものだろう。ぐいぐいと人に迫る若さと魅力がある。」
とある。
この本は昭和14年刊行だから、ノレナはその時すでに50代半ばに達していて、決して若いとは言えないと思うが。
それに、荒さがあるとも、野性的とも思わない、むしろ清純可憐な趣があると思うが。
ちなみに、[5]の解説の題名は、"Eide Norena, The Snow Fairy"である。「雪の妖精」こっちの方がずっとしっくりくる。

最後に、今回も大変お世話になったmr.hmvさんに厚く感謝に意を表する。

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by ibotarow | 2016-06-27 19:36 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(0)
2015年 06月 27日

フランツ・ドルドラのディスコグラフィー

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きっかけは某オークションに、日本ポリドールの Franz Drdla(1868-1944)の自作自演レコード10009が出ているのを見つけたことです。
オークションの写真を見るとマトリクス番号が写っていて、サフィックスはarです。
このサフィックスの由来は以前、オネーギンのラッパ吹き込み に記したように、1914年以後、英グラモフォンとは袂を分かったDeutsche Grammophon Aktiengesellschaft の録音です。
日本ポリドールは昭和2年(1927年)に設立され、DGAと原盤契約を結びました。

ドルドラはG&T[1,2]だけだと思っていましたが、こんな録音があるとは知りませんでした。
それでレコードを1枚も持ってないのに、ディスコグラフィーを作りたくなりました。

その前に、ドルドラの録音はないかとYoutubeを探してみたら、 ブルッフの協奏曲
[947 x] 47923 Konzert Nr 1 Op 26: Allegro moderato (Max Bruch), mit Klavier 
がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=kiX7HOdyMgA
ドルドラのロマンチックな曲から受けるイメージとは裏腹に、 フーベルマンやタシュナーを彷彿させる力強い演奏でびっくりしました。
風貌もご両人のごっつい顔となんだか似てますよね。

もう一曲ドルドラの演奏を見つけました。スーベニールです。
https://www.youtube.com/watch?v=Qf7UdH2ALVw
その後、Loreeさんから送っていただいたヤン・クーベリック協会の復刻CD[3]の音源と比較して、ポリドールの演奏
[3395 ar] 20194 Souvenir (Drdla) 日Polydor 10009-A
と判明しました。
2分20秒~30秒あたりに、楽譜にないアドリブが聴かれます。
楽譜を見たわけではありませんが、他の演奏と比較して、また下記の記述[4]を読んでそう思いました。

Drdla’s own playing style as revealed by his recordings is articulate and accurate with infrequent use of vibrato, although this is slow and wide where it does occur. In his Souvenir performance (1920) and the 1903 recording of his Chopin arrangement one can also hear his penchant for pronounced portamenti and a fascinatingly free approach to his own notated rhythms, no doubt influenced by his links to folk music traditions. (David Milsom,"FRANZ DRDLA")

この文章にはスーベニールのほかにショパンも挙げられています。
これは復刻CD[3]には入っていないので、どれだけ楽譜から逸脱しているか聴いてみたいものだと思っていましたら、UNICORNさんからPearlの復刻LP GEM102 [5]に入っているよと教えていただきました。
このLPはボクも持っていますが、何十年も聴いていないのですっかり忘れていました。
ドルドラは
[949 x] 47929 Nocturne Op 9 Nr 2 (Chopin-Sarasate)
1曲のみ収録されています。
さっそく聴いてみると、ドルドラは素直に楽譜通りに弾いているようです。
後年のポリドールのような”溜め”はあまり感じません。
その点、物足りないと言えばそうですが、初々しいとも言えます。
音は昔の復刻盤特有の、スクラッチノイズを消した貧弱な音です。

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by ibotarow | 2015-06-27 09:36 | ヴァイオリン_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)
2014年 04月 29日

カール・フレッシュのディスコグラフィー

d0090784_10403853.jpg何を血迷ったか、カール・フレッシュ(1873-1944)のディスコグラフィーを作りかけています。
レコードを1枚も持っていないというのに。
きっかけは、某オークションにフレッシュのエジソン盤が3枚出ていて、そういえばカール・フレッシュのレコードもエジソンのレコードも持っていないなあ、とふと思って、まあ縁があるならと安値で入札したのです。
やがて日が経つにつれてほしい思いが募ってきて、ここは一つ落札の願掛けにディスコグラフィーを作ろうという次第に相成ったというわけです。

今までカール・フレッシュの演奏を聴いたのはSYMPOSIUMの3枚組復刻CD[1]だけです。
これでフレッシュの録音の大半は網羅していると思っていたのですが、調べていくと豈図らんや、いっぱいあります。特にエジソンが大量にあります。

ディスコグラフィーを作るにあたって、この復刻CDを改めて聴き直してみましたが、いいですね。
何がいいって、矩(のり)を越えない上品さ、しかもロマンティック。
ヌヴ―やハシッド、そしてヴォルフシュタールの師匠であることがよくわかります。
フレッシュの資質が彼らに受け継がれた言った方が良いかもしれません。
ますますレコードがほしくなりました。

一方、カール・フレッシュは同時代のヴァイオリニストに対する、歯に衣着せぬ言いたい放題の批評でも有名です。
ここでは、ハルトナックの「二十世紀の名ヴァイオリニスト」[2]の中で、フレッシュはこう言ったといって書いている文章を2,3紹介します。
まず、ジャック・ティボーについて、
「ティボーはその手法において新しいとともに、芸術家としての最終目標が、浄化されてはいるものの、まぎれもなくエロス的なものへ向けられている点で独自である。」
これは一見ほめているようでいて、その実、「ティボーはエロ親父だ」と揶揄してるんですね。
次にウイリー・ブルメスター、
「ブルメスターは、つねにヴィルトゥオーソ的な作品のみを弾き、バッハやベート-ヴェンを軽蔑し、音楽的な意味に合わせた歌い回しというものにまったく縁がなく、非音楽的で、音は冷たく、ぎくしゃくした弓づかいで、ギーギーいう雑音を伴っていた。」
これは全くの罵詈雑言ですね、よっぽど気に入らないことがあったのでしょうか?
3人目はヤン・クーベリック、
「クーベリックは、他の人々がやっとその才能を発揮し始める時期に、すでに頂点を越えてしまった不幸な種族の芸術家である。」
これはなるほどそうだったのかと思わせます。
もっと読みたくなりますが、原本は「カール・フレッシュ回想録(The Memoirs of CARl FLESCH)」で、日本語訳の単行本は出ていないようです。
これの抄訳が、佐々木庸一氏によって、「音楽藝術」の1958年10月号から、1959年5月号まで7回にわたって連載されました。国会図書館に行けば閲覧できるようなので、いつかヒマになったら行ってみたいものです。

さて、フレッシュの録音で一番古いのはアムステルダムで行われたODEONのセッションで、1904年~1907年(資料によって差異あり)に行われました。
フレッシュは1903年から1908年までアムステルダム音楽院の教授をしていましたので、その間の録音でしょう。
ヴァイオリンは彼自身のものではなく、ラッパ吹き込み用に開発されたストロー・ヴァイオリンが用いられました。
今聴いても不自然は感じは受けません。復刻CDの解説によると、
The sound, as we hear eight decades later, is remarkably vivid with depth and range suggesting a normal instrument.
「80年たって聴いても、その音は普通の楽器のように、非常に生き生きとして、深みと幅を持っている。」

その後、1914年にフレッシュはアメリカにコンサートツアーに出かけ、その時にエジソンのダイヤモンドディスクに初めて録音しました。
また、1924年から1928年にはフィラデルフィアのカーティス音楽院で教えましたが、その間にもエジソンに録音しました。
後年、シゲティがフレッシュから聞いた話では、「レコードの録音時、エジソンは外部のノイズに非常に敏感で、 フレッシュが弓に松やにを余分に塗ろうとしたら文句を言われた」そうです。松やにを塗りすぎると音がギスギスするのを嫌ったのでしょうか?
なんせエジソンはラッパ吹き込みの時代においても、“s” と “ch,” の発音の違いの再生にこだわったそうですから。

エジソンは早くから電気録音の実験をしていましたが、電気録音に切り替えたのは1927年4月で他社より2年遅れでした。
なぜ遅れたかというと、彼はその頃もう耳がほとんど聴こえなくなっていて、先行他社の電気録音盤を聴いたけど、音が歪むほどボリュームを上げなければならなかったので、電気録音はダメだと判断したようです[9]。
下のリストでは1928年からが電気録音だと思われます。

また、1926年、エジソンは長時間レコードを発表しました。
これは今までと同じ80 rpmの回転数で、収録時間が
10 inch:24 min.
12 inch:40 min.
となっています。これを実現するため、溝のピッチは
450 lines/inch
と、従来のダイヤモンドディスクの3倍の密度にしなければなりませんでした。
そのため、音量も従来の40%しかなく、溝の壁が崩壊する事故が多かったそうです。
1928年に、カール・フレッシュの電気録音から10曲が、1枚の長時間レコードにダビングされて発売されました。 下のリストの30006の12インチ盤です。

さらに、1929年、ついに横振動レコードを発売しました。
下のリストのNで始まるマトリクスが横振動で、マイクの出力を二つにわけて、縦振動と横振動の2台のレースで同時にカッティングしたそうです[10]。
横振動レコード(Needle Type Disc)は1929年8月に売り出されましたが、時すでに遅しで、ほとんど売れず、同年10月にエジソンはレコード事業から撤退しました。 もちろん、1929年10月に起こった大恐慌という外的要因もあると思いますが。

というわけで、とりあえずディスコグラフィーを作りましたが、中でもOdeonのリストはまだ不完全なもので、ソロが13面と、メゾソプラノのPauline de Haan-Manifargesの伴奏が3面ありますが、マトリクスの不明な盤が6面ありますし、混乱している箇所もあります。?の部分の情報をご存知の方はぜひご教授ください。

その後、オークションの結果はどうなったかと申しますと、何日か経って胴元からメールが来ました。
Unfortunately, you totally struck out this time.

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by ibotarow | 2014-04-29 12:02 | ヴァイオリン_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(2)
2013年 02月 02日

ユリア・クルプのDu bist die Ruh'

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先日、ユリア・クルプ(1880–1970)のDu bist die Ruh'のAnker盤を入手した。みずほの部屋さんのブログで拝見して前から気になっていた、笛を吹く羊飼いの少年レーベルである。nude boy picture labelというらしい。
別に裸の少年に興味があるわけではないが、レーベルの美しさに惹かれたという些か不純な動機である。

ユリア・クルプのVictor録音はRomophoneから復刻CD[1]が出ている。それ以前のOdeonやAnkerの録音は半数ほどが[2]に入っているらしいがボクは持っていない。
そこで、この機会にいつもの編年体ディスコグラフィーをまとめ、彼女のレコーディングの全体像を眺めることにした。

まずOdeonについてはChristian Zwargのオンライン・ディスコグラフィー[3]を参照した。
Ankerついてはみずほさんのブログのレーベル写真を参照した。
Victorはアルマ・グルックと同じくUCSDのデータベース[4]を元にして、上記の復刻CDのリストを参照した。
1914年のGramophoneと1926年のElectrolaについてはケリーのジャーマン・カタログ[5]を参照した。
こうして大体の骨格を作ったが、その後、以前mr.hmvさんからいただいたRC誌のディスコグラフィー[6]があるのに気づき、足りないデータを補完した。[6]には未発売テイクがたくさん載っているが、煩雑になるので[4]にあるもののみとし残りは割愛した。
Victor以前の録音年代に関して、それぞれの文献で相違が見られるものについては併記した。

作る過程で、Odeonの「女の愛と生涯」が二組あることを知った。2回目のベルリン録音はSymposiumの復刻CD[7]を持っているが、最初のアムステルダム録音は見たことも聴いたこともない。
そもそもxAなるマトリクスは初めて見た。Aはアムステルダムの意味であろうか?

また、Du bist die Ruh'がヒストリック・マスターズから出ていることに気づき、そういえば、うちにクルプが1枚あったな、と引っ張り出してみればHM84であった。
Odeon盤とAnker盤を指定どおり74rpmと78rpmで聴き比べると、ピッチは同じように聴こえたので回転数はこれで正しいと思う。
出来栄えは、前者の方が初々しい、というか緊張しているように聴こえる。後者はそれに比べて滑らかに歌っている。
1915年のVictor録音ではさらに洗練され、完成度が高くなっているのであるが。

でも両方とも、あらえびす[8]の言う「温籍優雅」の世界である。
さらに彼の表現を借りて手抜きをすると、「多くの女流人気歌手が、ややもすれば娼婦型の魅力に専念するのに対して」、「女性歌手にはありそうで滅多にない母性の尊さを感じさせるものがある」のである。

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by ibotarow | 2013-02-02 17:13 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 01日

フェリア・リトヴィンヌのサムソンとデリラ

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Félia Litvinne、本名Françoise-Jeanne Schütz、1860年St Petersburg生まれ(11 October 1863の説もあり)。
父はロシア人、母はフレンチ・カナディアン。母の強い影響で、フランス人として育つ。
彼女の3歳年上の姉Hélène Schützは、フレンチ-ポリッシュ・バスのEdouard de Reszkeと結婚。
1893年に、彼女はDr. Emmanuel De Poixと結婚し、歌手のキャリアが中断したが、それは長くは続かなかった。
1895年にマルセイユでカムバックした。
その後Alfred Cortot は、リトヴィンヌのいたパリThéâtre du Château d’Eau の指揮者となった。

話の発端は、「みずほの部屋」さんのブログ[1]で拝見した、コルトー伴奏のリトヴィンヌG&T 33160、サムソンとデリラ。垂涎の盤である。

リトヴィンヌのG&Tで思い出すのは、数年前、ハロルド・ウエイン伝で読んだ、フランスの大コレクターのパリの銀行の地下室に保管されたレコードを受け取りに行くときの話である。拙訳[2]を再掲すると、

-----------------------------------------------------------------------------------------------
フランスも、いくつかの大きなコレクションのソースを提供した。それらの中で有名なのは、1967年のComte De Bryのコレクションである。彼のコレクションは、パリのGrand National Bankに保管されていた。
ハロルドは、レコードを調べるために、アルベリッヒのようなピグミー・サイズの人間(彼らの小さな像が、それらの閉ざされた地下トンネルには必要であったのである)を伴って、地下2階の保管室に降りた。
レコードは安全にロックされていた。カバー無しに積まれていた。
一枚しか存在しないVictor CapoulのJocelynや、Marie de ReszkeのLe Rossignol(Gounod)の1905年のパリ・フォノティピア、それにLitvinne G&Ts, Maurel G&Ts, 究極のミントコンディションのBattistiniのLa mantilla、Ackte Zonophoneなどがあった。
問題は、どうやって運び出すかであったが、フィルム缶に入れて、それらを地表まで運ぶことで解決した。
-----------------------------------------------------------------------------------------------

リトヴィンヌG&TのようなMajor Rarity(大珍品)ともなると、聴かずに銀行の貸金庫に預けるものらしい。

それはともかく、リトヴィンヌは、1902年12月29日、G&Tに、コルトーの伴奏で8面を吹き込んだ。
マーストン[3]曰く、「フェリア・リトヴィンヌは大女だった。人としても声に関しても。」
このセッションの録音は、機械が想定外の津波のような大声に耐え切れず、みんな声が歪んでいる。

それもあってか、彼女は翌1903年に、同じ8面を吹き込み直した。d0090784_15595090.jpg
したがって、同じカタログ番号で2種類のマトリクス番号が存在する。
1903年のレーベルには、伴奏者はコルトーと記載されている。
ケリーのフレンチ・カタログにも、両セッションともコルトーと記載されている。

ここで右の写真が登場する。この写真は[3]から取ったが、元々の出典は、
未見であるが1953年のRC誌[4]である。
この写真は、パリのG&Tの録音スタジオで、怖い顔をして仁王立ち?
した歌手が、稀代のドラマティック・ソプラノFélia Litvinneである。

彼女の後ろに、大きなポスターが貼ってあって、Tamagnoの文字の下に、6行、名前らしきものが見えるが、一番上と一番下は判読できないが、2行目からはかろうじて、Caruso, Calvé, De Lucia, Kubelikと読める。

また、左壁のポスターの女性は、Sarah BernhardtのライバルGabrielle Réjaneかと思ったが、彼女はG&Tに吹き込んでいるのだろうか?少なくともケリーのフレンチ・カタログには見当たらない。

Réjaneを別にすればポスターに登場するアーティスト達は、みんな1902年から1903年初めにかけて吹き込んでいる。
録音スタジオには最新のポスターが貼ってあるだろうと考えると、この写真が撮られたのは1903年だと考えるのが妥当であろう。
というわけで、1903年のセッションのピアニストは女性で、コルトーではないというのが定説らしい[5]。

もちろん反対意見もあって、さる大コレクターの微妙な言い回しを、正確を期するため、原文のまま引用する。
"Still, the playing here sounds to me like a major pianist at work, not unlike Cortot in the first take (1902)."

先日来、両セッションの8種を交互に並べたCDRを作り、ピアノの違いを聴いているところであるが、これがなかなか難しい。
リトヴィンヌのパワフルな歌唱の陰にあるか細いピアノを聴くのは、まるで北斗七星の柄の端から2番目、ミザールの伴星アルコルを見つめるような困難さがある。


下に、マーストンの復刻CD[3]のリストをもとに、Wittenの記事[5]で補完したディスコグラフィーを示す。
オデオンの録音年はChristian Zwarg[6]に従った。
現物が確認されているのは35面、1903年のプライベート・シリンダーと、パテ・シリンダー5本は、Girard & Barnes[7]にのみ登場する。
Fonotipiaは他にもあると言われている。事実、39060 Ich grolle nichtは、長年その存在が噂されていたが、1990年の終わり頃になって1枚のコピーが発見された。
また、オデオン盤にはパテに対抗するために、縦振動にカットし直したPhrynis盤が存在する。

サムソンとデリラ第2幕から、Mon coeur s’ouvre à ta voix「あなたの声に心は開く」は3回吹き込んでいる。

sophia_gluckさんによる日本語訳[8]をフランス語の原詞に無理やり対照させると、

Mon coeur s'ouvre à ta voix,      あなたの声に心は開く
comme s'ouvrent les fleurs       花が開くように!
Aux baiser de l'aurore!          夜明けの口づけに
Mais, ô mon bienaimé,          でも いとしいあなた、
pour mieux sécher mes pleurs,    私の涙を乾かすために
Que ta voix parle encore!        もっとお声を聞かせて!
Dis-moi qu'à Dalila             デリラに言って!
tu reviens pour jamais,          戻ってくると
Redis à ma tendresse           もう一度言って、
Les serments d'autrefois,        昔の誓い、
ces serments que j'aimais!       私が好きだったあの誓いのことばを!
Ah! réponds à ma tendresse!     ああ! 私の愛に答えて!
Verse-moi, verse-moi l'ivresse!    酔わせてください!
Réponds à ma tendresse!        私の愛に答えて!
Réponds à ma tendresse!        私の愛に答えて!
Ah! verse-moi, verse-moi l'ivresse! ああ!酔わせてください!                 

これは、デリラがサムソンを籠絡して弱点を聞き出そうとするときの官能的なアリアである。
本来メゾソプラノが歌うが、リトヴィンヌの豊かなメゾからアルトの声域が聴かれる。

下のリストから抜き出すと、
1902, Paris, G&T [1360 F] 33160   
1903, Paris, G&T [2254 CS] 33160X
1910, Paris, Odeon [XP 5022] 56219
である。

2枚のG&Tsは、ボクごときにはとても手が届かないが、3枚目のオデオン盤はなんとか入手できた。
1910年のオデオンになると録音技術も進歩し、彼女の声はかなり良く捉えられているが、それでもクライマックスのハイGフラットでは、完全に機械がオーバーロードとなり、ひどく歪んでいる。
と、マーストンの復刻CDのライナーノートに書いてあった。

マーストンは、excruciating blasts of distortionと言っている。直訳すると「耐え難いほどの歪みの爆風」。
写真の盤を聴いてみると、なるほど、最後の"Ah!"のところで盛大に歪んでいる。木星の輪のような白っぽいリングが爆風部分である。ルーペで見てみると、隣の溝との壁がところどころ無くなって、島嶼の連なりのようになっている。げに恐ろしきはリトヴィンヌのフォルティッシモ。

ただしマーストン盤では、上の当該部分が、マーストンの魔法によって修復されている。
これはこれで楽しめるが、復刻CDはオリジナルを忠実に転写すべきという観点からすると、SYMPOSIUM盤[9]のように、歪んだまま復刻してくれた方がありがたい。法隆寺金堂壁画の模写のように。

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by ibotarow | 2011-08-01 07:20 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(2)
2007年 10月 20日

フラグスタートのラッパ吹き込み その2

mr.hmvさんから、フラグスタートのディスコグラフィーの載っているRC誌のコピー[1]をいただいた。
それによると、フラグスタートのラッパ吹き込みは、下記のように、HMVに4面、Scandinavia Odeonに14面あるようだ。
ここで奇妙なのが録音年で、HMVが1923年、Odeonが1926年と記載されている。HMVの方はまだ考えないとして、前報のSYMPOSIUMの復刻CDでは1913年録音となっている、VaarenとIngalillが、1926年のリストに載っているのである。
この1926年という書き方もなんか微妙で、「1925年のカタログに載っていないから、1926年だとした。」という消極的理由によるらしい。

H.M.V. (acoustic)
Recorded in Oslo (then Kristiania) on the 1st October, 1923.
There were two takes of the X 1940 couplings, marked with a small I or II respectively, the takes shown were published, the other two being conserved.
X 1940 P 177 I Peer Gynt: Solveigs Song (Grieg) w/orch. [2-8]
      P 178 II Saeterjentens Sondag (Bull) w/orch [2-9]
X 1946 P 172 Mot Kveld (Backer-Grondahl) w/orch. [2-7]
          Mainat (sinding) w/piano accompaniment. [2-10]

ODEON (Scandinavia)
Recorded in 1926 (none of these were listed in the 1925 general catalogue).
5332 A 147300 Aa, Ola, Ola min eigen onge (Folksong) (IRCC 3040) [2-1]
      147301 Aagots Fjeldsang (Thrane) (IRCC 3040). [2-2]
5346 A 147510 Da lyset slukket (Song-Waltz by Alf Peaters).
      147511 Vor sideste kveld (Song-Waltz by Geider Thommesen)
5348 A 147487 Vaaren (Grieg). [2-3]
      147488 Ingalill (Rosenfeld). [2-4]
5371 A 147526 Hjem kjaere hjem (Home, sweet home: Bishop). [2-5]
      147527 Endun et streif kun av sol. [2-6]
5373 A 147530 Jeg lagde mig saa slidig (with Karen Marie Flagstad and Marie Flagstad).*
      147531 Eg ser ut for glugjen (with Karen Marie Flagstad and Marie Flagstad).*
5409 A 147554 Synmoves Sang: Nu tak for alt (Kjerulf).
      147555 Imgrids Vise: Aa reven laa under birkerot=Kjerulf).
5552 A 147572 Sovnen: Da barnet sov inn (Kjerulf).
      147573 Kjaere lille gutten min (Per Winge).
(* Flagstad's mother accompanied on many other Odeon records).

d0090784_15512211.jpg果たして1913年と1926年はどちらが正しいのであろうかと、傍証例を探してみたところ、Simaxから復刻CD[2]が出ていることを見つけた。タイトルには、"The Early Recordings 1914-1942"とある。
上のリストからは、HMVの4面全部、Odeonは前半の6面が収録されている。
リスト中に書いた、かぎ括弧の中の右側の数字が、Simaxの復刻CDの曲目番号である。こういうCDの場合、曲目は古い順に並べるのが普通であろうから、1から6までは1914年録音と考えるのが妥当であろう。だとすると、SYMPOSIUMのいう1913年とあまり違わないことになる。 あるいは、1914年は発売年かもしれない。

SYMPOSIUMの復刻CDの解説には、これらのレコードはextreme rarityだとしか書いてなく、Simaxの復刻CDを入手して解説を読めば、もう少し詳しいことがわかるかもしれないが、日本のアマゾンの中古市場で、1万5千円以上するようなので、手を出しかねている。

References
[1] J. Dennis, "Kirsten Flagstad", The Record Collector, Vol. VII, No. 8, (August, 1952) 173-190.
[2] http://classical.premieremusic.net/catalog/cd/PSC1821/
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by ibotarow | 2007-10-20 15:54 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)
2006年 12月 23日

HMV No.5復帰

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No.5サウンドボックスが修理を終えて復帰しました。ヴィクター・オルソフォニックと同じ構造を持つ、HMVの古いモデルです。2年間くらいは留守をしていたように思います。
さっそく音を出してみましたが、いつも使っているNo.5aに比べて、音が太いように感じます。柔らかいともいえます。がーさんの話では、ベヤリングを押さえているワッシャーの外側にゴムを使っているそうですが、その影響でダンプされるのだろうとのことです。
イヴ・モンタンのセ・シ・ボンのフランス・オデオン盤がいい感じで鳴りました。今後、メインのサウンドボックスになる予感がします。
修理にあたっては、がーさんおよびご友人のAさんに大変お世話になりました。ここに、あらためてお礼申し上げます。
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by ibotarow | 2006-12-23 19:33 | 蓄音機 | Trackback | Comments(2)
2006年 06月 17日

リリ・レーマンのフィデリオ

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Odeon Red UAA-79300/01 Lilli Lehmann:Fidelio-Adagio[XXB 3050}//Allegro[XXB 3051} (1907 Berlin)

mr.hmvさんにいただいたRC誌のビブリオグラフィー[1]によると、Lilli Lehmann(1848-1929)は、ドイツのウルツブルグで生まれました。両親とも歌手で、最初の歌の先生は母親でした。子供時代はプラハで過ごし、1865年、17歳のときにプラハ国立歌劇場でデビューしました。なお妹Marie Lehmannもソプラノ歌手でした。
その後、ダンツィッヒ(1868-1869)、ライプツィッヒ(1869-1870)、ベルリン(1870-1879)等で修行を積み、1876年のバイロイト祝祭劇場のオープニング・フェスティバルの指輪の初演で、ラインの乙女の一人を歌っています。この成功がきっかけで、国際的に知られるようになりました。
その後スエーデン(1878-1879)、ベルリン(1878-1885)、ウィーン(1882-1910)、ロンドン(1880-1899)、米国(1885-1899)等々、45年の長きにわたって、主要なオペラ劇場で活躍、こなした役は170にのぼるオールラウンド・プレーヤーでした。その後もコンサート活動は継続し、こちらは60年以上のキャリアを誇ります。
 
オデオン・レコードへの吹き込みは、ディスコグラフィー[2]によると、1906年から1907年にかけて、8つのセッションで42面が吹き込まれました。そのうち38面が発売されました。幸い、4面の未発売録音を含めて、そのすべてが復刻されています(SYMPOSIUM 1207 &1208)。
上のレコードは1907年の4番目のセッションで吹き込まれたフィデリオのアリアで、本来、part 1のレスタティーブを含む、3面一組のpart 2と3です。オリジナルの型番は80006と80007ですが、上のレコードは1931年に、D. Shaweと"The Gramophone"によって企画された特別プレスです。ノイズが少なく、彼女のクリスタル・グラスのような、凛とした輝きのある声がよく捉えられています。
なお、オリジナル・レーベルは、ライトブルーの地にダークブルーをあしらった、彼女だけのスペシャル・レーベルでした。G&Tのパッティを意識したようですね。

最後に、あまり知られていないエピソードとして、ヴィクター・モーレルとのロマンスがあります。1899年4月3日、それはボストンで、モーレルとドン・ジョバンニで共演する5日前ですが、モーレルに宛てた熱烈なラブレターが残っています。それによると、「あなたがいなくてさみしい、あなたと別れるのはいや、」と連綿と綴り、最後は、「あなたが私にくださらなくてはならないリングを買ったの。そう私が買ったのよ。今あなたがすべきことはそれを数日間、昼も夜も首に巻いて、それから私にくださること。そうすると私はそれを着けて残りの人生を過ごすことができるから・・・」と書いています。きっとすばらしいドン・ジョバンニだったことでしょう。

参考文献
[1] Lim M. Lai, "Lilli Lehmann", The Record Collector, Vol. 26, Nos. 7 & 8 (Feb 1981)
[2] J. Dennis, "Lilli Lehmann Discography", The Record Collector, Vol. 26, Nos. 9 & 10 (May 1981)
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by ibotarow | 2006-06-17 10:44 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)
2005年 04月 29日

レオ・スレザーク

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Slezak, Leo (ten.) 10 3/4" Odeon 38035/41 Romanze: Holde Aida, Aida (Verdi) mx.VX 1445 Vienna 1906/ Preislied, Meistersinger (Wagner) mx.VX 26 Vienna 1904

4枚目は、レオ・スレザークのオデオン録音で、ドイツ語で歌う「清きアイーダ」とマイスタージンガーの「優勝の歌」です。スレザークは両方の曲とも、何度も録音していますが、以前mr.hmvさんにいただいたレコード・コレクター誌のディスコグラフィーによると、前者は、1902年のG&T、1904年のパテに続く3回目の録音、後者は、1901年のG&Tに続く2回目の録音のようです。なお、この資料では、両方とも1905年の録音となっていました。どちらが正しいかわかりませんが、マトリクス番号がかなり飛んでいるところをみると、ひょっとして上の数字が正しいのかもしれません。

スレザークの魅力は、何と言っても、声、特にエネルギー密度の高い、ピンと張りつめた輝きをもった高音ですね。これはイタリアン・テノールの華麗な高音とはまた違った魅力です。ワーグナーを歌うヘルデン・テノールにはこのような力強い高音が必要なのでしょうが、この声で歌うイタリア・オペラもまた魅力です。この「プライズリート」では古式ゆかしく、冒頭に「なんとかかんとか、レオ・スレザーク、オデオン・レコード」というアナウンスが入っています。「清きアイーダ」は、以前オーケストラ伴奏のオデオン盤(1912年録音)を入手しましたが、それと聴き比べてみると、新しい方がよりレンジが広く、肌理細やかな音です。でも古い方が録音レベルが大きく、スレザークも若いせいか、より迫力のある歌唱です。
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by ibotarow | 2005-04-29 12:08 | 男声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)
2005年 03月 21日

ヴィクター・モーレル

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昨日、Victor Maurel (1848-1923)が1枚到着しました。海外からの荷物は不思議に日曜に来ることが多いです。それはともかく、曲は、
Verdi, Era la notte “Otello”(39042, XPh 58-3)
Mozart, Serenata “Don Giovanni”(39041, XPh 66)
です。来るときは立て続けに来るようで、ゆっくり資料を調べているひまがなく困ってしまいますが、モーレルは、マルセイユ生まれで、ヴェルディの覚えめでたく、オテロやファルスタッフの初演に関わったバリトンとして有名です。

録音は、1903年パリでG&Tに7面吹き込み、Fonotipiaには1904年ミラノで6面、1907年ロンドンで3面吹き込んでいますが、これですべてです。G&Tは当初、赤ラベルで売り出されましたが、その上に黒ラベルを貼り付けたレコードもあるそうです。これはモーレルが1904年にFonotipiaに録音したことに対するG&Tのいやがらせでしょうか。そう言えば、SammarcoのG&T録音もFonotipia盤が録音された1905年にカタログから消されたそうです。

復刻CDは、SYMPOSIUMやMarstonから出ていますが、ここでMarstonの解説に書いてあった、回転数をご紹介しておきましょう。
G&T: 70.5 rpm
Fonotipia(1904): 83 rpm(ただしNinonだけは初めが79.5 rpmで終わりが83 rpm)
Fonotipia(1907): 76 rpm
なお、上のレコードにはサラサーテのレコードのように、内周に別トラックの信号音が刻まれています。これが何ヘルツかはわかりませんが、Marstonによると、この時代のピアノは、A=435 Hzに調律されていたそうです。

上のレコードは、英国パルロフォンの1930年代の再プレス盤です。オリジナル・フォノティピア盤は、とても私の手に入るようなしろものではありません。Harold Wayneに言わせると、オリジナルとは違うものだ、と憎たらしいことを言っていますが、なに、再プレス盤の方がスクラッチノイズが少なくて、聴きやすいのですよ。
モーレルの、やさしく語りかけるような歌唱は、まるで父親のかいなに包み込まれるような、あったかくて幸せな感じ、と言ったらいいでしょうか、一度聴いたら忘れられません。
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by ibotarow | 2005-03-21 11:07 | 男声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)