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2017年 05月 28日

デジタル化その6 ホアン・マネン

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P213 [2049] Concerto in E minor (3rd mvt) (Mendelssohn) pt.2


6回目は、Joan Manén (1883-1971)のParlophone 2枚です。

1915 Berlin, with orch. (Friedrich Kark, director)
P210 [2047] Légende (Wieniawski)
P210 [2044] Serenade No.1 (Drdla)  
P213 [2048] Concerto in E minor (3rd mvt) (Mendelssohn)
P213 [2049] do

指揮者の情報は、Joan Manén Enregistraments històrics[1]によります。
メンデルスゾーンの協奏曲は、クラシック名曲初演&初録音事典[2]によると、世界で初めて全曲録音したのはマネンだそうですが、これはそれより前の別録音です。
回転数はSymposiumの復刻CD[3]と合わせた結果、79 rpmとなりました。

ヴィエニャフスキーのレジェンドとドルドラのセレナーデを下記にアップしました。

P210 [2047] Légende (Wieniawski)
P210 [2044] Serenade No.1 (Drdla)
http://ibotarow.exblog.jp/9431929/

メンデルスゾーンのコンチェルトはこのページにアップしました。

P213 [2048] Concerto in E minor (3rd mvt) (Mendelssohn) pt.1
P213 [2049] do pt.2

第1面は、写真をクリックすると音が出るはずです。
裏面は、写真の下の曲名をクリックしてください。

References
[1] Joan Manén Enregistraments històrics http://joanmanen.cat/index.php/enregistraments-historics
[2] 平林直哉、クラシック名曲初演&初録音事典、(大和書房、2008)p.273
[3] The Great Violinists, Vol. 21: Pablo de Sarasate, Joan Manen, SYMPOSIUM 1328 (2004)


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by ibotarow | 2017-05-28 07:55 | ヴァイオリン_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 30日

メタ・ザイネマイアのディスコグラフィー

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前回のアイデ・ノレナ(1884-1968) とともに、ディスコグラフィーを作りたいなと思っていたのが、ロバート・バウアーとハロルド・ウエインご両人が絶賛する、ドイツのソプラノ、メタ・ザイネマイア(1895-1929)です。
彼女の魅力は、アイデ・ノレナとは対照的な、濃密な色香あふるるフルボディの歌唱です。

ザイネマイアは1929年に33歳の若さで白血病で亡くなりましたが、もし生き永らえば間違いなくその時代の理想的なイゾルデやブリュンヒルデになったであろうと、復刻CD[1]の解説に書いてありました。
それは、ワルキューレ第1幕のジークリンデを聴けば十分窺い知ることができます。

ザイネマイアにはホームページ[2]があって、そこにディスコグラフィーのデータが載っているので、作ろうと思えばいつでも作れたのですが、彼女の代表作(だとボクが勝手に思っている)ワルキューレ第1幕フィナーレのレコードを入手してからと思っているうちに10年近くたってしまいました。
アイデ・ノレナのディスコグラフィーを作った勢いで、この機会にB&Dをまとめておきます。
まずバイオグラフィーは[2]に詳細な記述がありますが、抄出すると、

1895年9月5日、刑事の父 Wilhelm Seinemeyerと、母 Anna Seinemeyerの娘としてベルリンで生まれる。
1911-1917?年、音楽の教育はシュテルン音楽院で始まり、ベルリン高等音楽学校に進んだ。
1918年7月1日、Berlin-Charlottenburg Opera で、オペラ・デビューを果たした。
1923年1月から4月にかけて、彼女はGerman Opera Company の一行とともにUSツアーに行った。
1924年11月29日、ザイネマイアは、ドレスデン国立歌劇場にゲスト出演し、直ちに契約した。ドレスデンは、終生、ザイネマイアのホームグラウンドとなった。
1925年11月17日、彼女はパーロフォンに最初のレコーディングを行った。この録音はまた、指揮者フリーダー・ワイスマン(1893-1984)との仕事上の(と個人的な)関係の始まりとなった。
1926年3月20日、ザイネマイアは「運命の力」のドレスデン初演でレオノーラを歌った。彼女はこの出演で有名になったが、同時に、白血病の最初の兆候を示した。
1927年5月20日、ジュネーブの国際音楽祭、6月22日および24日、ウィーン国立歌劇場、8月5日、ベルリン国立歌劇場に出演。
5月-8月、ブエノスアイレスのコロン劇場その他に出演、しかし病気のため、南米滞在は短くカットせざるを得なかった。
1929年5月3日、最後の録音「さまよえるオランダ人」が行われたが、完璧主義者の彼女は満足できなかった。ロンドンから戻った後で再録音する予定であったが、その時には録音に耐えられないほど体調が悪くなっていた。
5月9-21日、ザイネマイアはロンドンのコヴェント・ガーデンで5つの公演を行い、高く称賛された。彼女の病気は秘密にされたので、批評家のいずれもが、彼女が病気だったとは知らなかった。
彼女はロンドンでインフルエンザに罹り、白血病のため、回復が思わしくなかった。治療のためにスイスとバイエルンのバートキッシンゲンに行ったが、治療の効果がなかった。彼女は8月の初めにドレスデンに戻った。
8月19日、ザイネマイアは病院のベッドの上で、長年の婚約者フリーダー・ワイスマンと結婚式を挙げた。 そして、その日の夕方に亡くなった。

ディスコグラフィーは[2]を元に、Christian Zwargによる資料[3-5]を参照して校訂しました。
資料間のデータの差異は、あきらかな論理的矛盾を別にして、[3-5]の記述を優先しました。
Artiphonの録音年に関しては、[6]の記述を参考にしましたが、これも出所はChristian Zwargです。

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by ibotarow | 2016-07-30 08:42 | 女声_電気録音 | Trackback | Comments(0)
2009年 03月 07日

ホアン・マネンのLégende (Wieniawski)

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P210 [2044] Serenade No.1 (Drdla)

ホアン・マネンは、1883年バルセロナで生まれた。
3歳のときからピアノと音楽の勉強を始め、5歳でヴァイオリンを弾き始めた。
マネンの神童ぶりに気を良くした父親は、彼をピアノとヴァイオリンのマルチプレイヤーとして売り出そうとしたようだ。
7歳のとき、ヴァイオリンとピアノの最初の演奏会を開いた。
10歳のときのアルゼンチン・ツアーでは、指揮者としてもデビューした。
13歳のとき、ヴァイオリンに専念することを決めた。
彼はバルセロナに戻り、サラサーテの先生であったDelphin Alardの弟子のClemente Ibarguenの指導を受けた。
1897年、米国でデビューした。
1898年、最初のヨーロッパ・ツアーを行い、ベルリンでサラサーテを聴いた。二人はお互いを賞賛したそうである。
第1次大戦の勃発まで、5回世界を回って、いつも熱狂的に受け入れられた。
大戦後は、ハイフェッツのような新たなスタイルの新人の台頭で、次第に人気に翳りが見られるようになった。
マネンは長生きし、1957年頃まで、演奏会やラジオで演奏を続けたが、生涯を通して、すでに時代遅れになったオールドファッションのサロン・スタイルを貫いた。
1971年、88歳で亡くなった。d0090784_20513463.jpgさて、このほど入手したヴィエニャフスキーのレジェンドであるが、この曲には、ヴィエニャフスキーの弟子でもあったベルンハルト・デッサウが1903年に吹き込んだ演奏がある。
復刻CD[1, 2]で両者を聴き比べてみると、マネンは前半の繰り返しを省略しているが、デッサウはよりロマンティシズムの濃度が高い前半に大部分の時間を割き、後半をバッサリと省略している。
これが、印象の違いにも影響しているのかもしれないが、デッサウの方が情緒連綿たる魅力がある。
でもこのレコードは大変レアで、とてもボクが手を出せるようなしろものではない。レーベルの写真をながめるだけで満足しよう。

それで、マネンの演奏であるが、ハルトナック[3]は、ブルッフの協奏曲のレコードを「非常に甘ったるい」と切り捨て、返す刀で、このヴィエニャフスキーを一刀両断にする。
「ヴィエニャフスキの「伝説曲」のレコードが、表面的な感覚が強調されているものの、表現が乏しくて芸術的にはなにも伝えてくれず、(ブルッフの協奏曲と)同じような演奏法の単調さを示しているからである。
そこではただ、退屈を丹念にこねあげ、ひろげてゆくだけなのである。
マネンのヴァイオリニストとしての腕は、もっぱら前世紀後半のサロン様式の影響下にある音楽料理にささげられていた。
彼の偉大な模範たるサラサーテは、少なくとも部分的には、みずからの限界を越えるような発展を試みて部分的には成功さえしていたのだが、マネンは、優雅なサロン風ヴィルトゥオーソに終わってしまった。」

ハルトナックの言う「芸術的」な演奏とはどんなものかよくわからないし、「サラサーテの試み」とは、バッハのプレリュードのことを言っているとしたら、ボクには成功したとは思えないが、それらはさておき、この文章は見方を変えると、マネンに対するこの上もない賛辞となり得る。
なぜなら、ボクが昔のレコードを聴く主な目的は、20世紀に入って絶滅してしまった演奏様式、、とりわけヴァイオリンの場合は「19世紀後半の優雅なサロン風ヴィルトゥオーソ」の演奏を聴きたいからである。
ハルトナックにとっては、「表面的な感覚の強調」であり、「表現が乏しく」、「演奏法の単調さ」かもしれないが、別の言い方をすると、この演奏は、実に優雅でロマンティックでありながら、颯爽として、過度に感情的にならず常に節度を保っている。まさしくこれが19世紀サロン様式なのであろう。

なお、ブルッフ、ベートーヴェン、メンデルスゾーンの協奏曲は、世界初の全曲録音であるらしい[4]。
復刻CD[5]には、ベートーヴェンの協奏曲の第2楽章が収録されているが、ヴィエニャフスキーのときとは違って、甘さ控えめの演奏で、ボクにとっては、クライスラー/ブレッヒのような広大無辺の空間は感じさせないものの、緊張感を持って、伸びやかに歌い上げているところに好感が持てる。
全曲の復刻を聴いてみたいが、[4]によると、このレコードは2,3組の現存が確認されているだけで、しかもどれも欠品があるはんぱものなので、なかなか復刻できない、とのことである。

以下にクレイトンとケリーを元にしたディスコグラフイーを示すが、まだまだ不完全なもので、パーロフォンとHMV以外は、このほかにもあると思われる。また未聴だが、1950年代の放送用録音もあるようだ[6]。

最後に、クレイトン第2版で校訂していただいた貫太さんに感謝の意を表します。

Joan Manén Discography (incomplete)                           ○:[2], △:[5]

Anker*1
1912(1914?) Berlin, with Hedwig Francillo-Kaufmann (sp)
5059 07402 Le Pré aux Clercs: Jours de mon enfance (Hérold) 9921, Coliseum 4011, IRCC 3103, Scala 4005 ○
5060 07404 do: O Dieu du jeune age (Herold) 9921, Coliseum 4011, IRCC 3103  ○
    07405 Il Re Pastore: L'amerò, sarò costante (Mozart)  ○

Scala*2, with piano
5010 Serenade No.1 (Drdla)
5010 Moto perpetuo (Paganini)

Favorite*3
1-14373 Gavotte (Martini-Manen)
1-14374 Suites No.3 in D; Air (Bach-Manén)
1-14375 Nocturne No.2 in E flat (Chopin-Sarasate)
1-14375 Traumerei (Schumann)
1-14377 Le coucou (Daquin-Manén)
1-14377 Dance of the blessed spirits: Lento "Melodie" (Gluck-Wilhelmj)
2-14012 Concerto No.1 Allegro moderato: 1st mvt (Bruch)
2-14013 Concerto No.1 Adagio: 2nd mvt (Bruch)

Parlophone
1915 Berlin
, with orch.
2043 P211 Moto perpetuo (Paganini) E10105  ○
2044 P210 Serenade No.1 (Drdla)  ○
2045 P212 Sonata No.6; Toccata (Paradies-Manén)  ○
2046 P211 Jota aragonesa (Sararate) E10105  ○
2047 P210 Légende (Wieniawski)  ○
2048 P213 Concerto in E minor (3rd mvt) (Mendelssohn) E10032  ○
2049 P213 do E10032  ○
2051 P212 Le coucou (Daquin-Manén)  ○
   E10094 Legende d'amour (Becce)

HMV
29 July 1916
03128 067922 Lied (Manén) AB151
18 Nov. 1916
03139v 067905 Concerto in E minor: 1st mvt, pt.1 (Mendelssohn) AB15?
28 July 1916
03122v 067906 do: 1st mvt, pt.2 AB15?
03134v 067907 do: 2nd mvt, pt.1 AB16?
18 Nov. 1916
03140v 067908 do: 2nd mvt, pt.2 AB16?
28 July 1916
03135v 067909 do: 3rd mvt, pt.1 AB17?
03126v 067910 do: 3rd mvt, pt.2 AB17?
14 Nov. 1916
03131v 067913 Concerto in D Major : 1st mvt, pt.1 (Beethoven)
03132v 067914 do: 1st mvt, pt.2
03133v 067915 do: 1st mvt, pt.3
03134v 067916 do: 1st mvt, pt.4
03135v 067917 do: 2nd mvt, pt.1  △
03136v 067918 do: 2nd mvt, pt.2  △ 
03137v 067919 do: 3rd mvt, pt.1
03138v 067920 do: 3rd mvt, pt.2
14 Apr. 1918
03200v 067921 Jota aragonesa (Sararate) AB151  △
Apr. 1918
20063u 67918 Toccata
20064u 67919 Rondeau badinerie
19 Dec. 1921
Cc795-II 067935 Concerto No.1: 1st mvt, pt.1 (Bruch) AB24, M72
Cc796-III 067936 do: 1st mvt, pt.2 AB24, M72
Cc797 067937 do: 2nd mvt, pt.1 AB27, M79
Cc798-II 067938 do: 2nd mvt, pt.2 AB27, M79
Cc799 067939 do: 3rd mvt, pt.1 AB28
Cc800 067940 do: 3rd mvt, pt.2 AB28
20 Dec. 1921
Cc805-III 067927 Concerto in E: 1st mvt, pt.1 (Mendelssohn) AB15, M80
Cc806-II 067928 do: 1st mvt, pt.2 AB15, M80
Cc807-II 067929 do: 2nd mvt, pt.1 AB16, M81
Cc808-II 067930 do: 2nd mvt, pt.2 AB16, M81
Cc809-II 067931 do: 3rd mvt, pt.1 AB17, M82
Cc810-II 067032 do: 3rd mvt, pt.2 AB17, M82
21 Dec. 1921
Bb815 67921 Ballet (Gluck-Manén) AA7
Bb814 67922 Le coucou (Daquin-Manén) AA7

注[7]
*1 Anker
Anker-Recordは、主に第1次大戦前に活動したベルリンの会社で、レコードと蓄音機を製造・販売した。
ロシアには1910年に設立され、ロシア・オペラの歌手を録音したが、1913年にすべての原盤はStellaに売却された。
イギリスでは1912-14年にAnchor Gramophone Co.が、ドイツから原盤を輸入した。
Ankerは、次のレーベルでも発売された。
Scala, Scala-Ideal, Coliseum, Bouwmeester; V.D.M. (Volksgemeinschaft der Musikfreunde), Stradivari-Records and Kaliope

*2 Scala
Scala recordは、1911年に英国に設立され、主にドイツから原盤を輸入してプレスした廉価盤を発売した。
Fonotipiaによって販売されて、1919年まで続いた。

*3 Favorite
Favorite recordは、黎明期のドイツの大手のレコードメーカーで、Fonotipia傘下のレーベルの一つ。
1908年に英国に輸出を開始した。 第1次大戦から1920年ごろまで、いろんな種類の原盤のプレスを続けた。
Parlophoneレーベルでも発売された。

References
[1] The Great Violinists: Recordings from 1900-1913, Testament SBT2-1323 (2003)
[2] The Great Violinists, Vol. 21: Pablo de Sarasate, Joan Manen, SYMPOSIUM 1328 (2004)
[3] J. ハルトナック、二十世紀の名ヴァイオリニスト、松本道介訳、(白水社、1971) p.176
[4] 平林直哉、クラシック名曲初演&初録音事典、(大和書房、2008)
[5] La storia discografica del violino, vol. 6: Sarasatem Manen, Quiroga, Institute Discografico Italiano IDID 6385 (2002)
[6] La Mà de Guido, HISTORICAL LMG 3061 (2004)
[7] http://78rpmrecordlabels.blogspot.com/、その他いろいろ。
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by ibotarow | 2009-03-07 13:29 | ヴァイオリン_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)