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いぼたろうの あれも聴きたい これも聴きたい

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2011年 09月 17日

フリダ・ライダーのBrünnhildes Schlußgesang

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Frida Leider (1888-1975)は、[1]によると、1888年4月18日ベルリンで、大工の父Ernst Leiderと母Annaの娘として生まれた。
貧しくてきびしい生活だったけれど、両親はたった一人の娘のために立派な教育を与えた。
しかし父が若くして亡くなったため、教師になるためのトレーニングは道半ばで途絶した。
彼女は銀行に勤め始めたが、すぐに歌手になる決心をした。そして経済的困難にもかかわらず彼女は道を貫いた。
1915年にHalleでタンホイザーのVenusでデビュー、その後いくつかの劇場に出た後、
1919年にハンブルグのオペラハウスと契約、そこで1923年までいろんなレパートリーをこなした。
ドイツ・グラモフォンとの録音もこの期間に行われた。
1921年、ベルリン国立歌劇場と契約する夢がかなったが、ハンブルグの契約があったため1923年まで待たなければならなかった。
ベルリンでの成功の後、国際的歌手としてのキャリアが始まった。
ミラノ・スカラ座、パリ・グランド・オペラ、ウィーン国立歌劇場、等々に出演した。
1924年から38年までは、コベント・ガーデン王立オペラ劇場でワーグナーのスター歌手であった。

1930年、ベルリン国立歌劇場のコンサート・マスターRudolf Demanと結婚。
Demanはユダヤ人であったために、ヒトラーが政権を握ると、彼と彼の妻に圧力をかけてきた。
最初、彼のオーストリア市民権はいくらかは防御となった。しかし、1938年の「オーストリア併合」の後は、彼は危険にさらされ、間一髪でスイスに逃れた。
この出来事は、フリダ・ライダーに深刻な精神的危機をもたらし、彼女は長時間ステージに立つことができなくなった。
この頃のことは、最近入手した彼女の自伝"Playing my part"[2]に詳しいようだが、読んでいないので割愛する。
彼女は1975年6月4日、ベルリンで亡くなった。

なぜ読みもしない自伝を入手したかというと、Harold Burros作成のディスコグラフィーが載っているからである。
ただ、これはカタログ番号順で、録音年月日も記載されていなかったので、Preiser[3-5]およびTruesoud Transferのトラック・リストをもとにしていつものフォーマットに整えた。

フリダ・ライダーのアコースティック・ポリドールは、ロバート・バウアーの称賛するところであるが、今回リストを作ってみると、全吹き込みの約6割を占めている。
しかし、なかなか見かけないし、あっても高価で手が出ない。復刻CDで我慢するしかない。
復刻CDで聴く1925年、26年のラッパ吹き込みの音は、電気録音よりも輝かしい声が捉えられていて素晴らしい。

このリストを見て感慨深いのは、1940年代に入っても、イギリス資本のエレクトローラがベルリンで録音できたということである。
ナチスドイツは、音楽の輸出には寛大だったと何かで読んだことがあるが、それにしても驚いた

写真は、「神々の黄昏」の終焉部で、俗に「ブリュンヒルデの自己犠牲」と称されている部分である。
有名な、フラグスタート/フルトヴェングラーのレコードにも"Brünnhilde's Immolation"と麗々しく書いてあるが、どうもボクにはこの呼び名がしっくりこない。
ほかにもっと相応しい名称はないものかと思っていたが、このレコードには、"Brünnhildes Schlußgesang"と書いてある。
直訳すると「ブリュンヒルデの最後の歌」、この方がずっといい。

これは、1928年10月26日の録音であるが、電気録音が導入されて3年たち、機械の使いこなしにも慣れたのか、今日聴いても十分満足できる音が録られている。
7歳年下のキルステン・フラグスタート (1895-1962)は、声の透明度で勝るが、力強さはフリダ・ライダーが勝る。
ワーグナーの思い描いた、ワルキューレ(戦乙女)としてのブリュンヒルデ像により近いのではないかと思う。
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References
[1] Frida Leider Society, http://www.frida-leider.de/en/biography.html
[2] Frida Leider, "Playing my part", translated by Charles Osborne, (Calder Publications Ltd, 1966)
[3] Frida Leider - Her rarest recordings 1921-1926, Preiser Records, PR89509 (2000) ○
[4] Lebendige Vergangenheit - Leider Frida, Preiser Records, PR89004 (1999) △
[5] Lebendige Vergangenheit - Leider Frida (Vol. 2), Preiser Records, PR89098 (1999) □

by ibotarow | 2011-09-17 10:01 | 女声_電気録音 | Comments(1)
Commented by ibotarow at 2016-08-01 10:10
ディスコグラフィーの前半が表示されなかったので、Wordで作り直しました。


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