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いぼたろうの あれも聴きたい これも聴きたい

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2015年 10月 31日

天才少女時代の美空ひばり ― ディスコグラフィー

天才少女時代の美空ひばり ― ディスコグラフィー_d0090784_712849.jpg

天才の誉れ高いモーツァルトは3歳でチェンバロを弾き、5歳で作曲したそうですが、美空ひばりも負けてはいません。
美空ひばり公式ウエブサイト[1]によると、彼女は3歳までに小倉百人一首をほとんど暗記し、4歳で流行歌を覚え始めたそうです。

そのような天才少女ぶりを示す、デビュー前の美空ひばりの伝説の一つに、NHKのど自慢鐘なし事件があります。
1946年1月19日にNHKラジオ番組「のど自慢素人音楽会」が始まりました。

[1]によると、
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1946年12月 NHKの「のど自慢素人音楽祭」に出場、「悲しき竹笛」を歌うが、鐘が鳴らなかった。うますぎて審査員の反感を買う。
「子供が大人の歌をうたうのは、どうも影響がよくないので…」
和枝、大粒の涙を流し「どうしてなの…」(この時の歌「リンゴの唄」の説もある)
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ちなみに「悲しき竹笛」は、日本最初の接吻映画「或る夜の接吻」の主題歌で、奈良光枝と近江俊郎のデュエットで大ヒットしました。

一方、ウィキペディア[2]によると、
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1946年、NHK『素人のど自慢』に出場し、予選で『リンゴの唄』を歌いひばり母子は合格を確信したが鐘が鳴らない。
審査員は「うまいが子供らしくない」「非教育的だ」「真っ赤なドレスもよくない」という理由で悩んだ挙句、合格にできないと告げた。
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ところで、NHK岡山スタッフブログ[3]によると、
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実は、番組スタート当初、合格・不合格を伝える「鐘」はなかったそうです。
合格の場合は司会者が「おめでとうございます。合格です」、不合格の場合は「もう結構です」と言葉で伝えていました。
ところが、不合格の人が「歌の出来が“結構”」と取り違えて、ぬか喜びするケースが続出。
そんな時、スタッフが楽器倉庫の隅にあった鐘を見つけて「これを鳴らせば・・・」ということになったとか。
番組のシンボルでもある「鐘」の演出が取り入れられたのは、1947(昭和22)年7月、番組名が『のど自慢素人演芸会』に変わったころです。
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ということで、美空ひばりが出場した1946年には、鐘はまだなかったので鳴らなくて当たり前、ということになりますが、 要は、合格しなかったということですね。

それでは、「子供が大人の歌をうたうのはいかがなものか」という当時の文化人の批判の具体例を探してみると、
まず劇作家の飯沢匡、

ブログ「荒牧陽子に期待:ものまね芸能史の視点から」[4]によると、
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ひばりについて、誤った記事を流して叩いた最初のマスコミは、『婦人朝日』の昭和24年10月号だ。ひばりが12歳の時である。
同誌の編集長をしていた劇作家の飯沢匡は、敗戦後になって子供タレントたちが大量に出現したことに腹を立てていた。こき使われ、虐待されていると考えたためだ。
(中略)
記事では、マイナスのイメージとなる写真ばかりを並べ、親が児童福祉法など無視して無理に歌わせ、稼がせているような書きぶりとなっていた。「タイハイした大人の猿真似を子供にさせる」といった表現までなされている。
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この(中略)の部分も朝日らしくてなかなか面白いのですが、話題が発散するので省略、興味ある人は元のブログを読んでください。

次に詩人のサトウハチロー、
[2]によると、
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詩人で作詞家のサトウハチローは当時のひばりに対し「近頃、大人の真似をするゲテモノの少女歌手がいるようだ」と、批判的な論調の記事を書いている[注釈 4]。

注釈 4.  ひばり母子はこの記事を長く保存しハチローに敵愾心を持っていたと言われるが、後にハチローと和解している。
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この記事はいつどこに書かれたのかと調べてみると、 [1]に、
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1950年01月23日
この日の『東京タイムス』紙「見たり聞いたりためしたり」にサトウハチローがひばりをゲテモノ呼ばわり
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がありました。

飯沢匡は、「タイハイした大人の猿真似を子供にさせる」
サトウハチローは、「近頃、大人の真似をするゲテモノの少女歌手がいるようだ」

どちらも戦前からの儒教的道徳観に染まっていますが、美空ひばりの出現がそれほど前例のない衝撃的なものであったということを窺わせます。
でも、事実上のデビュー曲である「悲しき口笛」の売上45万枚の数字は、一般大衆には熱烈歓迎されたことを物語っています。

その後、なんと1950年のアメリカ公演のライブ録音が残されていることを知りました。
まず、[1]によると、
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1950年 05月16日
川田晴久、母・喜美枝とともにハワイ巡業へ出発。太平洋戦争で殊勲をたてた二世部隊の第百大隊の記念塔建設基金募集興行。
この時笠置シヅ子が歌ったブギを歌うことを禁じられる。ホノルル・シビック公会堂、マッキンレー・ハイスクール、カツナコア講堂とそれぞれの公演は大成功をおさめる。その後、アメリカ本土に渡る。ハリウッドではマーガレット・オブライエンと会い、共演作に発展する。
07月24日 帰国。
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美空ひばりは5月15日に「東京キッド」を録音しているので、その翌日に日本を発っています。
超過密スケジュールだったことが窺えます。飯沢匡の心配もわからないではありません。

このライブ録音は1950年6月24-25日、カリフォルニア州サクラメント市での公演らしいです。
2013年に日本コロムビアからCD[5]が出ています。

CDの解説[6]に、この音源の奇跡的な発見の由来が書いてあったので概要を紹介します。
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2008年8月、元電話会社の技術者で、趣味で古い録音機を集めたり修理したりしている、カナダ在住のディーター・ホーランダー氏がeBayで、ワイヤーレコーダーのワイヤー12巻を落札。
セラーに入手経路を聞いたところ、サクラメント市のフリーマーケットで入手したとのこと。
リールの入れ物に日本語らしき文字があり、ところどころにローマ字で「Hibari」などと書いてあった。
再生してみると、日本人のものらしき歌声が聴こえてきた。
彼は1年間かけて、Youtubeの音源と比較して、歌手の名前を推定した。
2009年8月25日、ホーランダー氏は、シカゴ大学東アジア言語文化研究学部のマイケル・ボーダッシュ教授にメールして、1950年にサクラメントで行われた美空ひばりその他のコンサートの録音らしきものを持っていると告げた。
2013年3月に開催された北米「アジア研究協会」の例会で、この音源が公開された。
ボーダッシュ教授は、ホーランダー氏の希望で、美空ひばりの事務所や遺族に連絡し、音源を送った。
2013年8月、ホーランダー氏は、ワイヤーをすべてUCLAの大学付属図書館に寄贈した。
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ワイヤーレコーダの音質は、当時のSPレコードの音質をはるかに凌駕しています。
Youtubeに一部アップされていますので、ぜひ聴いてみてください。





前置きが長くなりましたが、本題です。
[1]には入っていない、アメリカ公演ライブ録音を含む、天才少女時代限定のディスコグラフィーを作ることを思い立ちました。

ここで問題となるのが、天才少女時代をいつまでとするか、ということです。
いろいろご意見はあるかと思いますが、ここでは、声変わりするまで、としました。
それでは、いつ声変わりしたのか、という次の問題が惹起します。
美空ひばりは子供の時から低い声が出せたので、特定が難しいのですが、Youtubeで聴くと1952年はもう完全に大人の声です。
1950年は子供の声ですので、どうも1951年のいつかの時点ではないかと思われます。
そこで、1950年までのディスコグラフィーを作ることにしました。

[1]と[5]を元に、音源を参照できるように、YoutubeのURLを併記しました。
なお、Youtubeにない曲は、[1]で冒頭30秒が聴けます。



         美空ひばりディスコグラフィー(1949-1950)

                     年月日は、録音日(公開日)
                     題名の後は、(作詞者、作曲者、編曲者)


1949/6/23 (1949/8/10)
A-570-B 河童ブギウギ(藤浦 洸、浅井挙嘩、浅井挙嘩) 松竹「踊る龍宮城」挿入歌
https://www.youtube.com/watch?v=hSPT_US3C28(映画)

1949/8/12 (1949/9/10)
A-622-A 悲しき口笛(藤浦 洸、万城目正、浅井挙嘩) 松竹「悲しき口笛」主題歌 45万枚
https://www.youtube.com/watch?v=Z7QxCsHjUrY(レコード)
https://www.youtube.com/watch?v=GorIRRmeFkg(映画)

A-622-B 池真理子 ブギにうかれて(藤浦 洸、万城目正)
美空ひばり ブギにうかれて
https://www.youtube.com/watch?v=lBa1QuDzktQ '49.10.24『悲しき口笛』挿入歌 

1949/12/22 (1950/3/20)
A-736-A 涙の紅バラ(奥野椰子夫、仁木他喜雄、仁木他喜雄)
https://www.youtube.com/watch?v=iUuDQfgoKVk  (A-985美空ひばり傑作集5曲目)
A-736-B 私のボーイフレンド(門田ゆたか、原六郎) 松竹「放浪の歌姫」主題歌
https://www.youtube.com/watch?v=MVUqMkpyWmM  '51.9.21『ひばりの子守唄』挿入歌

1950/3/31
 (1950/5/1)
A-814-A 青空天使(門田ゆたか、万城目正、田代与志) 大泉・東映「青空天使」主題歌
A-814-B ひばりが唄えば(門田ゆたか、万城目正、田代与志) 大泉・東映「青空天使」挿入歌
https://www.youtube.com/watch?v=C8ryfeVWQ-4 '50.9.9『東京キッド』挿入歌

1950/4/7 (1950/6/15)
A-823-B 白百合の歌(藤浦 洸、万城目正、田代与志) 
https://www.youtube.com/watch?v=iUuDQfgoKVk  (A-985 美空ひばり傑作集1曲目)

1950/4/21 (1950/6/15)
A-826-B 橋のたもとで(藤浦 洸、万城目正、田代与志) 

1950/4/28 (1950/10/15)
A-917-A 夜霧ふたたび(奥野椰子夫、仁木他喜雄、仁木他喜雄)

1950/5/15 (1950/7/20)
A-857-A 東京キッド(藤浦 洸、万城目正、仁木他喜雄) 松竹「東京キッド」主題歌
https://www.youtube.com/watch?v=jwWqbXvp_-0 (レコード)
https://www.youtube.com/watch?v=UJ_aKUob-IY(映画)
https://www.youtube.com/watch?v=xwmvsiykS_M '52.7.15松竹『悲しき小鳩』挿入歌
A-857-B 浮世船路(藤浦 洸、万城目正、田代与志) 松竹「東京キッド」挿入歌

1950/6/24-25
 Live in Sacramento、【】はオリジナル歌手
港シャンソン(内田つとむ、上原げんと)【岡晴夫】
https://www.youtube.com/watch?v=UzO40bk-LVY
ヘイヘイブギー(藤浦 洸、服部良一)【笠置シズ子】
コペカチータ(村雨まさを、服部良一)【笠置シズ子】
悲しき口笛(藤浦 洸、万城目正)
河童ブギウギ(藤浦 洸、浅井挙嘩)
ブギにうかれて(藤浦 洸、田代与志)【池真理子】
三味線ブギウギ(佐伯孝夫、服部良一)川田晴久(ギター) 【市丸】
唄入り観音経(作詞作曲不詳)川田晴久(ギター) 【三門博】
https://www.youtube.com/watch?v=H6VayIBPERg
ボタンとリボン(J. Livingstone, R. B. Evans)川田晴久(ギター) 【ダイナ・ショア】
https://www.youtube.com/watch?v=H6VayIBPERg

1950/9/4
 (1950/9/20)
A-943-A 裏町パラダイス(野村俊夫、平川英夫、平川英夫)
A-943-B 拳銃ブギー(名古屋宏、浅井挙嘩、浅井挙嘩)

1950/10/3 (1950/11/10)
A-972-A ちゃっかり節(野村俊夫、万城目正、万城目正)松竹「左近捕物帳・鮮血の手型」主題歌
https://www.youtube.com/watch?v=TCbbrklBWNI
A-972-B 誰か忘れん(野村俊夫、万城目正、万城目正)松竹「左近捕物帳・鮮血の手型」挿入歌
https://www.youtube.com/watch?v=1Ai4fPtCcNY

1950/10/3 (1950/12/1)
A-1000-A 越後獅子の唄(西條八十、万城目正、万城目正) 松竹「とんぼ返り道中」主題歌
https://www.youtube.com/watch?v=23i_yjp8GcI(レコード)
https://www.youtube.com/watch?v=L2mH4rq7YCk
A-1000-B あきれたブギ(西條八十、万城目正、万城目正) 松竹「とんぼ返り道中」挿入歌
https://www.youtube.com/watch?v=D9Kvasm41CY

1950/12/2
 (1951/2/15)
A-1077-A 私は街の子(藤浦 洸、上原げんと、上原げんと) 松竹「父恋し」主題歌
https://www.youtube.com/watch?v=-1mIEE8IU60(蓄音機)
https://www.youtube.com/watch?v=zfTgKxiG2HE
A-1077-B ひばりの花売娘(藤浦 洸、上原げんと、上原げんと) 松竹「父恋し」挿入歌
https://www.youtube.com/watch?v=LPZAFqq8hkI '50.4.1新東宝『憧れのハワイ航路』挿入歌


References
[1] 美空ひばり 公式ウエブサイト http://www.misorahibari.com/?profile_list=profile
[2] ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A
[3] NHK岡山スタッフブログ http://www.nhk.or.jp/okayama-staff-blog/100/102921.html
[4] 荒牧陽子に期待:ものまね芸能史の視点から http://blog.goo.ne.jp/makimaki-blog/s/%C8%D3%C2%F4%B6%A9
[5] ”ひばり&川田 in アメリカ 1950”, 日本コロムビア COCP-38151 (2013)
[6] マイケル・ボーダッシュ、”偶然と必然”, [5]所収

by ibotarow | 2015-10-31 07:18 | 女声_邦楽 | Comments(1)
Commented by Rafael fuwabo longe at 2022-03-06 20:20 x
たまたまガラートの物を開けましたら,此のページに来ました。こう言う物も知識がおありなのですね。
私は,好みに合わないので,一切此の手の流行歌は聞きません。ですが,一流のアーティストでも,大衆人気の例えばプレスリーやクロスビー,ひばりとかの方が収入を多く取れて,贅沢をしていたとか。レコードでの赤盤アーティスト依り,下手(音楽の学問的に)であり,黒盤の歌唄いの方がレコード会社も儲かって,盤も売れたそうですね。もしかして,一流アーティストを赤盤にしたり,特別レーベル(メルバレコードの様に)にして,高く売っている居たのは,数が売れないけれど,ギャラをある程度支払う為であったからでしょうか?


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