パブロ・カザルスのDB851とDB1067の怪

先日、お客さんが二人来られた。蓄音機を聴きに来られたのである。
愛聴盤をお持ちくださいと申し上げていたので、何枚かのレコードを持ってこられた。
その中の一枚に、パブロ・カザルスのバッハのトッカータ／グラナドスのゴイェスカスの英HMV盤があった。
聴いているうちに、ひょっとしてうちにもあるかもしれないと思ったが、探すのが面倒なので、その時はそのままになった。

次の日になって探してみたら、果たしてELECTROLA盤DB1067があった。
[A31977△] Toccata in G dur - Adagio (Bach)
[A31978△] Goyescas - Intermezzo (Granados)

あ、やっぱりと思ったが、問題はここからで、その隣にスペインHMV盤DB851があったのである。
[A31977] Adagio (Bach)
[A31978] Goyescas (Granados)

バッハのタイトルが少々違うが、マトリクス番号は両面とも同じである。
△の有無と、書体がちょっと違うのが気になるが、これはドイツ盤とスペイン盤の表記の違いかと都合の良いように考えた。
DBの800番台はラッパ吹込みじゃないかとも思ったが、聴いてみると両面とも同じ演奏に聴こえた。

同じ音源でありながらカタログ番号が違うとはこれいかに？と、
CHARM[1]で、Goyescasを検索してみた。
その結果、米Victorがオリジナルで、下記のように2種類あることがわかった。

Composer: GRANADOS, Work: Goyescas - Intermezzo, Performer: Pablo Casals, cello, Édouard Gendron, piano, Date: 1925-02-21
Catalogue: Gray
CatNum: LM-2699
Date: 1925-02-21
Venue: Camden, Victor Studio No. 1
Label: RCA Victor
Composer: GRANADOS
Title: Goyescas - Intermezzo
Issue_78_45: 6501. HMV DB851
Num: C 31978
LpNum: LM-2699
CdNum: Biddulph LAB-143
Performer: Pablo Casals, cello, Édouard Gendron, piano

Composer: GRANADOS (arr. Cassadó), Work: Goyescas - Intermezzo, Performer: Pablo Casals, cello, Nicholai Mednikoff, piano, Date: 1927-02-28
Catalogue: Gray
CatNum: LCT1050
Date: 1927-02-28
Label: RCA Victor
Composer: GRANADOS (arr. Cassadó)
Title: Goyescas - Intermezzo
Issue_78_45: 6635. HMV DB1067
Num: CVE 31978
LpNum: LCT-1050
CdNum: RCA Gold Seal 09026-61616-2
Performer: Pablo Casals, cello, Nicholai Mednikoff, piano

まずピアノ伴奏が違うし、前者は1925年の最後期のラッパ吹込み、後者は1927年の電気吹込みであった。
この音の違いがわからなかったとは我ながら情けない。

しからばと、もう一度聴いてみた。
DB851：エネルギーが中音に集中、ピアノ低音少なし。
DB1067：細身で、エッジが立っているというか高音が伸びている。
なんだ、全然違うじゃん。
いくらリメイク盤といっても、違う演奏に同じマトリクス番号を付けるとは何と紛らわしい！
先入観は恐ろしい、という新年早々のお粗末でした。

その後、先日のお客さんの一人から、
「マトリクス番号が必ずしもユニークを担保するデータにはならないということですね。人間不信になりそうです。」
という、まことにごもっともな感想をいただいた。





という訳で、ラッパと電気の切り替え時にほかにも似たようなケースはないかと、
DAHR[2] で、カザルスを検索してみた。
そうすると、あるわあるわ、

B-31966 10-in. 2/18/1925 Chanson villageoise Pablo Casals Cello solo, with piano
BVE-31966 10-in. 4/3/1925 Chanson villageoise Pablo Casals Cello solo, with piano

B-31967 10-in. 2/18/1925 Gavotte tendre Pablo Casals Cello solo, with piano
BVE-31967 10-in. 4/3/1925 Gavotte tendre Pablo Casals Cello solo, with piano

B-31968 10-in. 2/18/1925 Romanze Pablo Casals Cello solo, with piano
BVE-31968 10-in. 1/4/1926 Romance Pablo Casals Cello solo, with piano

B-31969 10-in. 2/18/1925 Menuet Pablo Casals Cello solo, with piano
BVE-31969 10-in. 4/3/1925 Menuet Pablo Casals Cello solo, with piano

B-31972 10-in. 2/18/1925 Après un rêve Pablo Casals Cello solo, with piano
BVE-31972 10-in. 4/3/1925 Après un rêve Pablo Casals Cello solo, with piano

B-31973 10-in. 2/18/1925 Vito Pablo Casals Cello solo, with piano
BVE-31973 10-in. 1/31/1928 Vito Pablo Casals Cello solo, with piano

C-31977 12-in. 2/19/1925 Adagio Pablo Casals ; Edward Gendron Cello solo, with piano
CVE-31977 12-in. 2/28/1927 Adagio Pablo Casals Cello solo, with piano

C-31978 12-in. 2/19/1925 Goyescas : Intermezzo Pablo Casals ; Edward Gendron Cello solo, with piano
CVE-31978 12-in. 2/28/1927 Goyescas : Intermezzo Pablo Casals Cello solo, with piano

B-31979 10-in. 2/19/1925 Moment musical Pablo Casals Cello solo, with piano
BVE-31979 10-in. 4/3/1925 Moment musical Pablo Casals Cello solo, with piano

C-31980 12-in. 2/19/1925 Cantabile Pablo Casals Cello solo, with piano

このリストをみると、1925年2月がラッパ最後期、1925年4月が電気最初期であることがわかる。
いずれもマトリクス番号は共通で、プリフィックスで区別している。
なお、CVE-31980はないが、これはC-31980が市販されなかったので、再録音の必要がなかったためのようだ。

さて、くだんのC-31977 Adagioを[2]でもう少し詳しく見ると、

2/19/1925 New York, New York 1 Destroy
2/19/1925 New York, New York 2 Destroy
2/21/1925 Camden, New Jersey 3 Destroy
2/21/1925 Camden, New Jersey 4 Master Victor 6501 12-in.
2/21/1925 Camden, New Jersey 4 Master Gramophone 2-07872 12-in.
2/21/1925 Camden, New Jersey 4 Master Gramophone DB-851 12-in.

全部で4テイクあるが、市販されたのは最後の1925年2月21日録音のテイク4である。
また、CVE-31977は、

2/28/1927 Camden, New Jersey 5 Destroy
2/28/1927 Camden, New Jersey 6 Destroy
2/28/1927 Camden, New Jersey 7 Master Victor 6635 12-in.
2/28/1927 Camden, New Jersey 7 Master Gramophone 2-07895 (Not issued) 12-in. Gramophone Co. face number.
2/28/1927 Camden, New Jersey 7 Master Gramophone DB-1067 12-in.
2/28/1927 Camden, New Jersey 7 Master Victor 12-0890 12-in.
2/28/1927 Camden, New Jersey 7 Master RCA Victor 17-0012 45-rpm
2/28/1927 Camden, New Jersey 7 Master RCA Victor 17-0371 45-rpm

の3テイクで、市販されたのは最後の1927年2月28日録音のテイク７である。
なおテイク番号はラッパ吹込みと連続している。

次に、C-31978 Goyescasを見ると、

2/19/1925 New York, New York 1 Destroy
2/19/1925 New York, New York 2 Destroy
2/19/1925 New York, New York 3 Destroy
2/19/1925 New York, New York 4 Destroy
2/21/1925 Camden, New Jersey 5 Hold
2/21/1925 Camden, New Jersey 6 Master Victor 6501 12-in.
2/21/1925 Camden, New Jersey 6 Master Gramophone 2-07871 12-in.
2/21/1925 Camden, New Jersey 6 Master Gramophone DB-851 12-in.

全部で6テイクあるが、市販されたのは最後の1925年2月21日録音のテイク6である。
また、CVE-31978は、

2/28/1927 Camden, New Jersey 7 Master Victor 6635 12-in.
2/28/1927 Camden, New Jersey 7 Master Gramophone 2-07894 (Not issued) 12-in. Gramophone Co. face number.
2/28/1927 Camden, New Jersey 7 Master Gramophone DB-1067 12-in.
2/28/1927 Camden, New Jersey 7 Master RCA Victor 17-0371 45-rpm
2/28/1927 Camden, New Jersey 8 Destroy
2/28/1927 Camden, New Jersey 9 Destroy

の3テイクで、市販されたのは最初の1927年2月28日録音のテイク７である。
テイク番号はAdagioと同様、連続している。

これで、ラッパと電気の録音方式の違いに関わらず、テイク違いとして扱ったということが、同じマトリクス番号を使った根拠であるらしい、と推測される。
米Victorのマトリクス管理部門は、録音方式の違いなど、大して気にしていなかったのかもしれない。

その後、先日のお客さんの一人から、
「1925年2月時点で電気録音実用化の見込みは立っていたであろうから、録音時期をあと2か月遅らせるという選択肢はなかったのだろうか？」
という問いを投げかけられた。
現代の我々から見ると、電気録音の登場は画期的な技術革新であったが、以前書いたように、当時の米Victorの経営陣は、この新技術に対してあまり関心を示さなかったようだ。
事実、初めての電気録音システムを導入したのは、米Victorではなく米Columbiaである。
これが、電気録音を、先行するラッパ録音の単なるテイク違いとして扱ったことにも繋がるのであろう。

References
[1] The AHRC Research Centre for the History and Analysis of Recorded Music (http://www.charm.kcl.ac.uk/index.html)
[2] Discography of American Historical Recordings (http://adp.library.ucsb.edu/index.php)