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いぼたろうの あれも聴きたい これも聴きたい

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2017年 12月 30日

エネスコのバッハ無伴奏Remington盤

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以前、エネスコのレミントン盤のことを調べているときに出会った、The Remington Site[1]という、全貌をいまだ把握できていない巨大なサイトがあるのですが、興味ある個所を2,3抄訳して紹介します。


1. Webster Manufacturing Co. Massachusetts - Record Corporation of New England [2]

Continental Records Inc.のDonald H. Gaborは、1947年、レコードプレス工場、 the Record Corporation of New England を、 34, Chase Avenue, Webster, Massachusetts に設立した。

彼は戦時中のシェラックの不足のため、シェラックにvinyliteを25から30%混ぜた"websterlite"を作り出したが、戦後はプラスチックの不足のため、および価格を安くするため、LPレコードの製造に、同様な代替品を考え出した。

1950年秋に、廉価なRemington LPを売り出したとき、ジャーナリストのCecil Smithは、1951年4月23日、有名な政治雑誌The New Republicに、21種のレコード試聴記[3]を書いた。

その中に、エネスコのバッハ無伴奏ロ短調の感想が載っている。
「ジョルジュ・エネスコのバッハ無伴奏ヴァイオリンソナタの演奏は、エネスコの公演のように、優れた音楽家でさえも十分な技術なしには楽器を効果的に演奏できないという痛々しい証拠を提供している。」

ほとんどのリサイタル録音は、
Mastertone Recording Studios Inc. in New York City NY 10036
で行われたが、エネスコのバッハ無伴奏のように、他の場所で行われた例も少なからずある。
それらは、Gaborの自宅、彼のオフィス、スタジオが取れなかった時は普通の室、さらにはWebster工場でさえも。
これは、時計の音がたまに聴こえることで示唆される。

これらの演奏はアセテート盤に録音された。


2. Donald H. Gabor (1912-1980) [4]

Continental RecordsおよびRemington Recordsの創立者Donald Gaborは1912年11月20日、ハンガリーで生まれた。
彼はBudapest Electrical Conservatoryで学んだ。
1938年、26歳の時アメリカに渡り、RCA-Victorに週給$12で雇われた。
両親はハンガリーに留まったが、1944年、ドイツ軍がハンガリーに侵攻した時、ブダぺストを離れることを余儀なくされ、強制収容所で死亡した。

彼は、RCA-Victorに席を置いたまま、Continental Recordsを設立した。
最も初期の録音は、1941-1942年、当時ニューヨークに住んでいたハンガリーの作曲家Béla Bartókの彼の自宅でのピアノ録音である。

これらの録音は、Continentalレーベルで78 RPMフォーマットでリリースされた。
Donaldは、レコードの売上よりはるかに多くの手当てを支払うことによりバルトークをサポートした。
後にLPに転写され、Continental CLP-101として、また1952年にRemington R-199-94として発売された。

1948年に、Massachusetts、Websterの古い工場を買い取り、彼が考案したプラスチックコンパウンドでレコードをプレスした。

1950年になって、33 RPM Long Playing recordの事業に参入するため、Remington Records Inc.を設立した。
多くのContinental録音がLPに転写されて発売され、後にRemingtonレーベルで再発売された。

当初、大衆にアピールするため、レコードの価格はビッグレーベルの1/3に設定された。
ポピュラーは99 ¢、クラシックは10インチ$1.49 と12インチ $1.99。
6か月後、$1.69 and $2.19に値上げされたが、なお、RCAの2/5であった。

生産コストを抑えるため、Donaldはギャラの高いアーティストとは契約しなかったし、Vinyliteの代替品である安価なWebsterliteを使ったが、そのため音質も劣化した。

ジョルジュ・エネスコは、バッハの6つのソナタとパルティ―タをContinentalレーベルに録音した。それらは1950年に発売された。

Don Gaborは、1980年、68歳の誕生日に心臓発作で死去した。


3. Georges Enesco (1881-1955) [5]

まずエネスコ自身の言葉、
「多くの人々を魅了する完璧さは、私には興味がありません。 芸術で重要なことは、自分自身を震撼させ、他人を震撼させることです。」

弟子は、Arthur Grumiaux, Ivry Gitlis, Ida Haendel, Christian Ferras、そしてもちろん、Yehudi Menuhin。

エネスコは、1881年8月19日、ウクライナ国境に近い小さな町Liveniで生まれた。
3歳の時、ジプシーの音楽を聴いて音楽への愛に目覚めた。
5歳のとき、彼は地元の先生から最初の音楽の手ほどきを受け、2年後にウィーン音楽院に入った。
ヴァイオリンの先生は、Joseph Hellmesberger Jr. (1855-1907)で、作曲をRobert Fuchs (1847-1925)に学んだ。
4年後、エネスコはGrand Medal of Honor (Silver Medal)を得た。

14歳のとき、Hellmesbergerは、もうウィーンでは教えることは無いと、彼をパリ音楽院に送った。
作曲をJules Massenet (1842-1912), André Gédalge (1856-1925),Gabriel Fauré (1845-1924)に、
ヴァイオリンを Armand Marsick (1877-1959)に学んだ。
1899年、17歳で、彼は1等賞を得た。

第1次大戦中、エネスコはルーマニアに住んだ。
戦争の前後、彼はヨーロッパやアメリカに多くのコンサートツアーを行った。

1927年からは第2の故郷フランスに住んだ。
その年の1月、パリでのリサイタルで、一人の少年に出会った。
翌朝、その少年メニューインは、エネスコのアパートを訪ね、彼の前でヴァイオリンを弾いた。
その演奏に驚いたエネスコは直ちに生徒として受け入れた。

彼は多くの音楽家と協演した。
パリ交響楽団Orchestre de l'association des concerts Colonne'を指揮した。
再び北米に行き、1936-37年のシーズンにニューヨークフィルを指揮した。

1939年、エネスコはMaria Rosetti (Princess Maria Cantacuzino)と結婚し、第2次大戦中はルーマニアに住んだ。

1946年にパリに帰り、
1947年、彼はバッハのヴァイオリンのための3つのソナタと3つのパルティ―タを演奏した。

1948年から1950年にかけて、ニューヨークのMannes School of Musicで教鞭を取った。
このアメリカ滞在時に、Continental Recordsに、バッハのソナタとパルティ―タを録音した。
テープレコーダはすでに実用されていたが、これらはアセテートに録音された。

1950年1月21日、エネスコはヴァイオリニスト、指揮者、作曲家として、ニューヨークで告別コンサートを行った。
この後、エネスコの健康はもはやヴァイオリンを演奏することを許さなくなったが、ときどき指揮者としてBBCのラジオ放送や、デッカへの録音を行った。

1950年は、バッハ逝去200年記念の年で、Schwann Long Playing Record Catalogの1950年9月版には、 エネスコとAlexander Schneiderの2種類のバッハ無伴奏全曲盤がリストアップされている。

1950年8月26日のBillboard誌に、コンチネンタルCLP-104のレビューが掲載された。

「バッハ無伴奏LPでの競争の中で、この限定販売品のエネスコのレコードは、少数の反体制派(*)を除いては、あまり評価を得るのは難しいかもしれないが、多くの愛好家は、ゴツゴツした、でも暖かみのある人間性を好むだろう。
著名なヴィルトゥオーゾやヴァイオリン教師にとって、テクニックは最後の拠り所ではなく、ほとんどのヴァイオリン弾きは、幅広いスタイルでレッスンする必要がある。
エネスコは、明るいパッセージでは、ジプシーのような情熱を注ぐことができるのだ。
プレスや表面の状態はとても良好。」

エネスコのコンチネンタル演奏はアセテート盤に録音された。
Donald Gaborのエンジニアがこのアセテート盤をテープに移したかどうかは知られていない。

アセテート盤は当初、コンチネンタル3 LPセットの供給源として使用されただけだった。
しかし、1974年のオリンピックレーベルの3 LPの再発売では、エベレストのエンジニアによって、アセテート盤からテープに移され、ポップスやヒスを排除するために編集され、フィルタリングされたと言われている。

エネスコのコンチネンタルセットは1952年1月に引き続き入手可能であったが、その年の3月までにシュワンのカタログから抹消された。

理由の一つは、エネスコの演奏が演奏の本質的価値である音楽性よりも、アーティストのテクニックに大きな意味を持つ何人かのレビューアーからの演奏の技術的側面についての批判であった。
セシル・スミスは、レミントンレーベルでリリースされた唯一のソナタに関して、1.に記したように、否定的レビューを書いた。

スミスは明らかに、これが67歳のエネスコであり、関節炎に襲われていたこと、そして彼の能力は若い頃の影に過ぎないことを忘れていた。
しかし、これらの演奏は、技術だけで演奏されるよりも偉大である。

1952年3月からは、10インチレミントン(PL1-149)のソナタ2番の演奏だけがカタログに残っていた。

その後、エネスコのバッハ無伴奏の演奏はレミントンMUSIRAMAレーベルで再発売された。
レーベルには元のカタログ番号はなく、6つのマトリクス番号(TA-16/17/18/19/20/21)のみが表示されている。
Gaborは1953年9月のシュワンのカタログでMUSIRAMAブラック/ゴールドレーベルのシリーズを発表したが、1957年頃にレッド/ゴールドレーベルのバリエーションが発売された。

1954年、エネスコは脳卒中を起こし、1955年5月4日、パリで死去した。


*:原文はbig longhair tenters。この語の訳出に関しては、Unicornさんとエピクロスさんに多大のご教示を得た。ここに厚く感謝の意を表する。





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4. エネスコのバッハ無伴奏Remington盤

さて、ここからが本題です。

エネスコのバッハ無伴奏と言えば、音程の不安定さは目を瞑るとしても(ボクも大人になった)、整然とした幾何学的美しさの全く無い、ドロドロした情念にまみれた演奏で、これを神への祈りだと言いたい気持ちもわからなくはないが、今まで敬遠してきた。

よもや自分で入手することはないと思っていたが、先日、Remingtonの10インチ盤が出ていて、サンプル音源が意外にノイズの無い音だったので、思わずポチってしまったのである。
ソナタNo.2と書いてあるが、今風にいうとパルティータNo.1である。

FEDEXで3日で着いた。
ヒゲ一つ無い。愛盤家か、ほとんど聴いていないか?

タンノイ・モノ、RIAAカーブで聴く。
スクラッチノイズは無いが、高音も無い。
蠢く情動の世界に酔い痴れる。これは紛れもなく演歌ですねえ。

レコードを直接聴いている時は、エネスコの気迫、ワシのバッハを残しておきたいというひたむきな思い、情熱が伝わるが、デジタル化すると、気迫の”気”くらいしか感じられない。

それでも、まあ、著作権も切れているでしょうから、MP3音源を公開してみます。
PL-1-149A [R 33 064] Allemande - Double / Courante - Double
PL-1-149B [R 33 065] Sarabande - Double / Tempo di Bourree - Double



Enesco's Continental and Remington discography
[5]


Continental

1949, New York, all indicated as Sonatas
CLP 104
[TA-33-016] Sonata No. 1 for Solo Violin in G minor BWV 1001
[TA-33-017] Partita No. 1 for Solo Violin in B minor BWV 1002
CLP 105
[TA-33-018] Sonata No. 2 for Solo Violin in A minor BWV 1003
[TA-33-019] Partita No. 2 for Solo Violin in D minor BWV 1004
CLP 106
[TA-33-020] Sonata No. 3 for Solo Violin in C Major BWV 1005
[TA-33-021] Partita No. 3 for Solo Violin in E Major BWV 1006


Remington

PL-1-149
Bach: Sonata No. 2 in B minor for Violin Solo (Partita No. 1 in B minor)

R-149-42
Enesco: Sonata No. 2 in F minor.
With Celiny Chailley-Richez, piano (the name of the pianist wrongly spelled as Chaillez-Riches).

R-149-47
Enesco: Romanian (Romanian) Rhapsody No. 1.
Orchestre des Concerts Colonne/George Enesco (coupled with Liszt: Les préludes)

R-149-50
Schumann: Sonata No. 2 in D minor Op. 121.
With Celiny Chailley-Richez, piano

R-149-52
Enesco: Romanian (Roumanian) Rhapsody No. 2.
Orchestre des Concerts Colonne/George Enesco. (coupled with Smetena: The Moldau)

R-199-52
Enesco: Octet for Strings.
String Ensemble/George Enesco

R-199-107
Enesco: Dixtuor.
Winds of the National French Orchestra/Georges Enesco.
(coupled with Kodaly's Cello Sonata Op. 4 performed by Richard Matuschka and pianist Otto Schulhof)

R-199-207
Enesco: Romanian Rhapsody Nos. 1 and 2.
Orchestre des Concerts Colonne/George Enesco
(coupled with Villa Lobos conducting the RIAS Symphony Orchestra in his Choros No. 6)

Musirama Remington in 1957
TA-33-016 Bach: Sonata No. 1 in G minor
TA-33-017 Bach: Partita No. 1 in B minor
TA-33-018 Bach: Sonata No. 2 in A minor
TA-33-019 Bach: Partita No. 2 in D minor
TA-33-020 Bach: Sonata No. 3 in C Major
TA-33-021 Bach: Partita No. 3 in E Major

References
[1] http://www.soundfountain.org/rem/dongabor.html
[2] http://www.soundfountain.org/rem/websterplant.html
[3] http://www.soundfountain.org/rem/remsmith.html
[4] http://www.soundfountain.org/rem/remgabor.html
[5] http://www.soundfountain.org/rem/remenes.html



by ibotarow | 2017-12-30 10:48 | ヴァイオリン_電気録音 | Comments(0)


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