いぼたろうの あれも聴きたい これも聴きたい

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カテゴリ:女声_ラッパ吹き込み( 44 )


2018年 10月 08日

クーベリックG&T補遺

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最近出た、"Speeds & Keys"[1]を見ると、1902年頃のロンドンG&Tのピッチは、A=452 Hzを採用しています。
クーベリックのG&Tは、

1902.10.26, Recordings made in London
[2700W] private Romance (d’Ambrosio)【 D, 452, 68.8 】
[2701 W2] 7956 Serenade No. 1 in A (Drdla) 【 A, 452, 69.4 (67.4) 】
[2703 2W] 7957 Lucia di Lammermoor: Sextetto (Donizetti-St Lubin) 【 D, 452, 71.0 (68.8) 】
[2704W] private Faust: Fantasia (Gounod) 【 F, 452, 71.5 】

1903.11.21
[4601b] 7967 Carmen: Habanera (Bizet-Sarasate)  【 D, 452, 74.2 (72.2) 】
[4602b] 7968 Carmen Suite: Chanson bohème (Bizet-Sarasate) 【 E, 452, 74.5 (72.1) 】
[4605b] 7961 Theme & Pizzicato - Nel cor non più mi sento (Paisello-Paganini) 【 G, 452, 75.3 (68.6) 】

1904.10.20
[401c] 03033 Ave Maria (Bach-Gounod) with Nellie Melba (s) 【 G, 435, 77.1 (68.8) 】
[408c] 07901 La ronde des lutins (Bazzini) 【 E, 435, 78.5 (79.8) 】

【】内の値は、左から、キー、ピッチ(Hz)、回転数(rpm)です。
また、()内の値は、前報"クーベリックG&T"で、A=440としたときの推定結果で、だいぶ違います。

特に、メルバとクーベリックのアヴェマリア03033 [401c]は、標準ピッチ(pitch standard)も違いますが、キーが違います。

Musical Key: G (F)
Pitch Standard: 435 Hz (440)
RPM Speed: 77.1 rpm (68.8)

そういえば、メルバG&Tにはキーが書いてあるのもあったなと、拙ブログ"メルバとクーベリックのアヴェ・マリア"のレーベル写真を見ると、上に再掲したように、
Key G
でした。この頃はレーベルの部分だけ丁寧に切り取っていたんですねえ。
それはともかく、前報"クーベリックG&T"で見た楽譜がたまたまヘ長調だったのですが、これはやり直しですね。

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そこで、ト長調の楽譜[2]を見ると、出だしの音はBです。

もし、A4=435 Hzを採用したとすると、B4は、
B4=435*1.122462=488.271 Hz 
です。

78 rpm再生時の冒頭の音の周波数は、前報"クーベリックG&T"のFig. 14を見ると、
498.6282 Hz
ですが、外周と内周の回転数差があるかもしれないことを考慮して、平均スペクトルから求めた同じ音程の音は、
493.2449 Hz
となります。これを
488.271 Hz 
にする回転数は、
78*488.271/493.2449=77.2 rpm 
となり、[1]の値とほぼ等しくなります。

次の問題は、A=435が妥当かどうか、です。
しかしながら、当時のピッチに関する情報はほとんどありません。

そこで、ピッチ・スタンダードの根拠を[1]の著者にメールで聞いてみたところ、2回にわたって長文の返事を貰いました。
その概要を記します。

まず、A=452について、
・ピッチ・スタンダードは、数百のケースについて試行錯誤によって決めた。

・リファレンスとして用いたのは、調律の範囲が非常に狭い軍楽隊の金管(数Hz変えるには、新しい楽器の購入が必要、あるいは調律の不可能なチューブラー・チャイム、グロッケンシュピール等である。

・時には不協和音が生ずることもある。
例えば初期のロンドンのG&Tでは A=452 "Old Philharmonic Pitch"で調律されたピアノや楽団に対して、French standard A=435に調律されたチャイムが聞こえる。

・しかし1907年に、スタジオ・オーケストラの楽器を"New Philharmonic" Pitch A=439にアップデートしたので、このチャイムはよりスムーズに合うようになった。

次に、A=435について、
・G&Tロンドン・スタジオのピアノ・ピッチは、 the 19th century British standard ("Philharmonic Pitch") A = 452 Hzであった。

・ガイスベルグが語った逸話によると、メルバは、1904年10月の録音の際に、ピアノを 自身のコンサートで使っているFrench pitch A = 435に調律し直すよう主張した。

・軍楽隊だけは20年にわたって、A = 452 を維持した。
たとえば1905年のメルバの伴奏をしたColdstream Guardsは、彼女の思い通りにはならなかった。
それで、レーベルに"Key E-flat"の表記がある"Come back to Erin" はA = 452で、同じ日のランドン・ロナルド伴奏の同じキーの"Old Folks at home" A=435と全く違う。

A=435の妥当性ですが、まあ、ガイスベルグがそう言っていると書かれると、そうかと納得せざるを得ませんね。
たしかに、1907年のロンドン録音のリストを見ると、オーケストラはA=439ですが、ピアノはA=435になっています。これはメルバの置き土産?でしょうか。

ちなみに、1905年の2曲は、
1905.09.04 London
[7202½b] 3616 Come back to Erin (Claribel) 【 E♭, 452, 74.3 】
[7203b] 3617 Old folks at home (Foster) 【 E♭, 435, 74.5 】
で、マトリクス番号が連続しています。
絶対音感のあるメルバにとって、さぞ気持ち悪かったことでしょう。

その他、"Speeds & Keys"[1]には、以下のさまざまなピッチ・スタンダードが列挙されていました。

430 Hz; Italian Military Band Pitch

432 Hz; recommended for vocal music by Verdi

435 Hz; Diapason normal: Nominal French standard

439 Hz; New Philharmonic Pitch

440 Hz; Modern Standard Pitch

443 Hz; Prussian Military Band Pitch

446 Hz; Pleyel's 19th century piano pitch

447 Hz; Mahler's preferred pitch for Vienna Opera

452 Hz; Old Philharmonic Pitch, British Military Band Pitch

461 Hz; Austo-Hungarian Military Band Pitch, High Viennese Pitch

また、この本のIntroductionにもたいへん興味深いことが書かれています。プレビュー版[3]で読めますので、回転数に関心のある方は、ぜひご一読を。

References
[1] Chris Zwarg, "Speeds & Keys Vol. I Gramophone Co. (1898-1921)", Truesound Transfers (Berlin, 2018)
[2] https://mahoroba.logical-arts.jp/score/download.php?id=128
[3] https://www.truesoundtransfers.de/SpeedsKeys1Preview.pdf

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by ibotarow | 2018-10-08 08:05 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)
2017年 04月 23日

SPレコードのデジタル化その1 イレーネ・アーベントロート

このたび縁あって、さる先達にSPレコードを何枚か引き取っていただけることになりました。
ありがたいことです。これで地震、火事はもとよりカビの心配をしなくて済みます。
お渡しする前に、記念に音をデジタル化して残しておくことにしました。

最初、皆さんがあまり使われないような時代物プレーヤで再生しようと考え、デッカXMS+コラーロAC47を試してみました。
このカートリッジは、今ではセクハラだと言われそうな表現ですが「シコメの深情け」のように、演奏者の表情をえぐり出す点において、他の追随を許しません。
さっそくこれで試聴してみましたが、針圧24gでもトレースし切れなくて歪む箇所があります。
そこで、現代国産品のデノンDL102SP+コスモテクノDJ3500で同じレコードを再生してみると、針圧15gで歪みはなく、しかもデッカよりしっとりした音です。
でも、いささか没個性というかソツのない音ですが、これがかえって色付けのない複製になるのではと考え、こちらに決めました。


AD変換はコルグDS-DAC-10Rでphono入力、イコライザoff、録音フォーマットはDSD5.6MHzです。


最初にデジタル化するレコードは、Irene Abendroth (1871-1932)の2枚です。
G&T 1902 Dresden
43245 [(o)768½x-N1-2z] Mignon: Arie der Philine (Thomas)
43250 [(o)795x-N1-2z] Barbier von Sevilla: Arie der Rosina (Rossini)


回転数がわからなかったので、しかたなく復刻CD
“The Harold Wayne Collection Vol. 6”, SYMPOSIUM 1085 (1990)
に合わせることにしました。
その結果、
43245 75.0 rpm
43250 79.3 rpm
となりました。LEDタコメータで測ったので±0.2 rpm位のバラツキはあります。
さらに言えば、ボクの駄耳では1 rpm以下の差は判別できないので、小数点以下の数字は信用できません。
マトリクス番号が飛んでいるので、違う日の録音だと思われますが、2枚の回転数が大幅に異なります。
それにしても、79.3は1902年のG&Tにしては速すぎるような気がしますが、ハロルド・ウエインに敬意を表して、この値を採用することにしました。


しばらくやらないうちに、音源をアップロードする方法をすっかり忘れていましたが、なんとかDSDからMP3に変換した音源を下記にアップしました。

43245 [(o)768½x-N1-2z] Mignon: Arie der Philine (Thomas)
http://ibotarow.exblog.jp/4170592/

43250 [(o)795x-N1-2z] Barbier von Sevilla: Arie der Rosina (Rossini)
http://ibotarow.exblog.jp/10348842/

いずれも写真をクリックすれば音が出るはずです。


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by ibotarow | 2017-04-23 14:30 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)
2013年 12月 28日

ロザリア・チャリアのディスコグラフィー

d0090784_7231562.jpgある人が、キューバ生まれのソプラノ、Rosalia Chalia (1863–1948)のレコードの全容を知りたいがバウアー[1]は当てにならない、とおっしゃるので、マルセル・メイエルの時と同じように、レコードを1枚も持っていないのにディスコグラフィーを作りかけています。

マーストンの復刻CD[2]のGregor Benko and Lawrence F. Holdridgeの解説によると、
1897年から99年にかけて、Bettini cylinderに116本吹き込んだが、現存が確認されているのは5,6本だそうです。
1900年と1901年に、seven- and nine-inch Zonophoneに44面、seven- and ten-inch Eldridge R. Johnson Recordに38面吹き込んだ。現存するのはそのうちの約2/3だそうです。
1912年にVictorに19面、またAmerican ColumbiaにSpanish songを11面吹き込んだが、それらは1900-1901年のレコードよりレアだと言われています。

Bettini は、Girard and Barnes[3]を元にしました。116本全てあります。
Zonophoneは、バウアー[1]、マーストン[2]、Symposiumの復刻CD[4]、Online Discographical Project[5]を元にしました。あと6面が不明です。リスト中、?を付けた番号がそれに相当するのではと思われます。
Eldridge R. Johnson RecordおよびVictorは、UCSBのアーカイブ[6]を元にしました。テイクは無視しましたが、1900-1901年に47面、1912年は20面あります。
Columbiaは、Dinosaur Discs[7]のリストとebayの写真[8]を元にしました。あと4面が不明です。




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by ibotarow | 2013-12-28 07:33 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(2)
2013年 07月 13日

ヨハンナ・ガドスキーのワルキューレ:Fort denn eile

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まず、RC誌のリドレー[1]とマーストンの復刻CD[2]により、ガドスキーの経歴を抄出します。

ヨハンナ・ガドスキーは1872年6月15日にプロシアのAnklamで生まれた。歌のレッスンは7歳から始めた。
1889年、17歳のとき、ベルリンのクロル劇場でオペラ・デビューした。
1892年、Lieut . Hans Tauschと結婚した。彼らは娘を一人さずかった。
1895年、オランダへコンサート・ツアーの後、Walter Damrosch's German opera companyの一員としてアメリカへ渡った。
1898年、メトロポリタンで初コンサート、
1899年、バイロイトとコベントガーデンにデビュー。
1900年、メトロポリタンにオフィシャル・デビュー、以後1917年までメトで活躍するが、この間、
1905-6年、ミュンヘンのモーツァルト生誕150周年記念フェスティバルに出演。
1914年、第1次大戦が勃発した当初は、メトロポリタンのガドスキーの地位には影響がなかった。
しかし、彼女のホームパーティで友人のバリトン歌手Otto Goritzが、1915年に英国の旅客船ルシタニアがドイツの潜水艦によって沈められたことを祝うパロディ歌を歌って以来、彼女の周りでは反ドイツ感情が高まって行った。
しかも彼女の夫はドイツ陸軍の予備役だったし、北米におけるクルップの代表者であったので、アメリカが参戦した時には彼はドイツ代理大使[3]とともに急いで脱出しなければならなった。
1917年、アメリカが参戦した4月6日の7日後、トリスタン上演のカーテンは下ろされ、ガドスキーは引退を余儀なくされた。
その後、ワーグナーがメトで再び上演されるのは1920年まで待たなければならなかった。
1932年2月22日、ガドスキーはベルリンで自動車事故で死亡した。

さて、写真のレコードですが、これは1909年4月30日に吹き込まれた未発売盤、
[B-7027-1] -------DIE WALKÜRE: Fort denn eile (Wagner) 
のビニールプレスです。無銘の黒レーベルから手書き文字がわずかにはみ出していますが判読できません。
同じ曲が、戦雲急を告げる1916年10月25日に吹き込まれています。
[B-19693-1] 87281 DIE WALKÜRE: Fort denn eile (Wagner)
ディスコグラフィーの最後を飾る彼女の白鳥の歌です。

両者をマーストンの復刻CD「2, 4]で何回も聴き比べましたが、前者の方が数段素晴らしい歌唱だと思います。
声が伸びやかで勢いがあり、何と言っても「ジークフリート」と告げるときのポルタメントの美しさ!
ガドスキーのレコードの詳細な分析をしているルイス・ミリョリーニ[5]は、この場面をこう記述しています。
She caresses his name, folding it with gentle tones and surrounding it with loving warmth:

これはワルキューレ第3幕第1場で、ブリュンヒルデがジークリンデのおなかにいる子に「ジークフリート」と名付けて、東の森に逃がす場面で、ブリュンヒルの指示に続きジークリンデの返答も一人二役で歌っています。
以下に、オペラ対訳プロジェクト[6]による対訳を示します。

Die Walküre ワルキューレ ActⅢ-1  

BRÜNNHILDE
(Sieglinde die Richtung weisend )
Fort denn eile, nach Osten gewandt!
Mutigen Trotzes ertrag' alle Müh'n, -
Hunger und Durst, Dorn und Gestein;
lache, ob Not, ob Leiden dich nagt!
Denn eines wiss' und wahr' es immer:
den hehrsten Helden der Welt
hegst du, o Weib, im schirmenden Schoss! -
(Sie zieht die Stücken von Siegmunds Schwert unter ihrem Panzer hervor und überreicht sie Sieglinde)
Verwahr' ihm die starken Schwertesstücken;
seines Vaters Walstatt entführt' ich sie glücklich:
der neugefügt das Schwert einst schwingt,
den Namen nehm' er von mir -
"Siegfried" erfreu' sich des Siegs!

<ブリュンヒルデ>
(ジークリンデに手で方角を指し示しながら)
さあ急いで!東へ行くのよ!
歯を食いしばって耐えるのよ・・・どんな苦しみにも・・・
どんな飢えや乾きにも・・・どんな茨や岩場にあっても・・・
笑うのよ!どんな逆境や苦しみにあっても、笑うの!
でも、今から私が言うことだけは思い出して、それを心の支えにして!
「この世で最もすぐれた男の子が
あなたの身には宿っています・・・!」
(ブリュンヒルデは、ジークムントの剣の破片を鎧の中から取り出すと、その厚い破片をジークリンデの手にゆだねる)
この剣の破片は、お父さんの斃れた地から、私がようやく拾い集めたもの・・・
いつかきっとその子は、この剣を鍛え直して振り回すはず。
その子の名前は私から授けましょう・・・
ジークフリート・・・勝利をことほぐ者・・・と!

SIEGLINDE
(in grösster Rührung )
O hehrstes Wunder! Herrlichste Maid!
Dir Treuen dank' ich heiligen Trost!
Für ihn, den wir liebten, rett' ich das Liebste:
meines Dankes Lohn lache dir einst!
Lebe wohl! Dich segnet Sieglindes Weh'!

<ジークリンデ>
(心の底から感動して)
ああ・・・なんて神聖な奇蹟!なんて素敵な女性!
あなたの誠実さに、私はほんとうに慰められ、救われました!
私たちが愛したあの人のためにも、私は可愛いこの子を守ります・・・
いつか必ず、私の感謝の気持ちが、あなたに微笑みますように!
さようなら!ジークリンデの悲しみをあなたの力に変えてください!

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by ibotarow | 2013-07-13 09:06 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)
2013年 03月 20日

エウジェニア・ブルツィオを聴く愉悦

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エウジェニア・ブルツィオは、1872年、1879年[1]、あるいは1882年[2]にイタリア、トリノ近郊のPoirinoで生まれた。
以下は[2]による彼女の経歴の抄録である。

ブルツィオは最初ピアノ、ヴァイオリン、絵画を習ったが、歌うことに最も興味を示したので、両親は彼女がミラノ音楽院に入ることを許した。
1899年、トリノでデビュー。
1900年、トリノでのソロリサイタルを開いたが、仕事のオファーはすぐには来なかった。
1901年、彼女は恋に落ち、Ugo Ravizzaと結婚した。
同年11月に舞台に復帰したが、結婚と仕事の両立は難しく、舞台をリタイアした。しかし、退屈と緊張のなさに耐えかねて、1年もたたないうちに仕事に戻った。
1903年、バーリでセレスティーナ・ボニンセーニャの代役でデビュー、成功を収めた。しかし、この成功は彼女の結婚生活に影響を及ぼし、2回目の結婚記念日の前に、結婚を解消した。
1904年、パレルモでデビュー、南米へツアー。
1906年、ミラノのスカラ座デビュー。ロンドンおよびサンクト・ペテルスブルグへのツアー。
1908年、スカラ座でのトスカニーニとの協演。「運命の力」のリハーサル中に彼女は、スカラ座でGodと呼ばれていたトスカニーニと大喧嘩、プリマドンナを外された。
急遽代役に呼ばれたEster Mazzoleniはこう語っている。
She was a tigress onstage as well as in private.

tigressを辞書で引くと、「雌のトラ」あるいは「あばずれ女」と書いてあった。なるほど、tigerの女性形ね。
どっちにしても気性の激しい女性であることは、彼女の歌唱を聴くとさもありなんと思う。

1909年、ブエノスアイレスのコロン劇場へデビュー。
1910年頃から睡眠薬中毒に。
1911年、トスカニーニはローマのコンスタンチ劇場で「西部の娘」のイタリア初演を準備していた。
彼はブルツィオにオリーブの小枝を渡す機会を否定しなかった(要するに主役を与えたということね)。
リハーサルは非常にうまく行き、初演の日が近づいた。それは彼女にとってのコンスタンチ劇場デビューでもあった。
しかし彼女はパニックに襲われて、役を降りてしまった。
トスカニーニは彼女を日がな一日、野次馬の好奇の目から守り、ついに彼女を説得することに成功した。
彼女は舞台に立ったのである。

次々と女性歌手に手を出す、女たらしで有名なトスカニーニも、tigressには一目置くようである。

1912年、スカラ座でノルマに初挑戦、彼女のステージマナーは横柄なものであったが、絶大な賞賛を浴びた。
1913年、ナポリのサン・カルロ劇場デビュー、その後、引きこもり、すべてのオファーを拒絶。
1915年、スカラ座に復帰、熱狂的な聴衆に演技は何度も中断。
1916年、ジェノヴァでレオンカヴァッロの「マメーリ」の世界初演、栄光のデモンストレーションであった。
その後、腎臓病と不眠症で再びステージを去る。
1919年、ブルツィオは再び、そして最後のステージに誘い出され、聴衆は伝説を見た。
1922年、死去。Poirinoでの葬儀にはトスカニーニも出席した。

ブルツィオは、[1]によると、語気の強いchest voice(胸声)を用いた。これはある人々にとっては汚く聴こえたが、ある人々にとってはエキサイティングなものであった。それは19世紀のイタリアン・ソプラノがドラマティックな感情を効果的演出するために使ったやり方を踏襲したのである。
あらえびすの言う典型的な娼婦型で、その肉感的ともいえる伸縮自在でダイナミックな歌唱を聴くのは快楽でさえある。


 

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by ibotarow | 2013-03-20 09:01 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(2)
2013年 02月 02日

ユリア・クルプのDu bist die Ruh'

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先日、ユリア・クルプ(1880–1970)のDu bist die Ruh'のAnker盤を入手した。みずほの部屋さんのブログで拝見して前から気になっていた、笛を吹く羊飼いの少年レーベルである。nude boy picture labelというらしい。
別に裸の少年に興味があるわけではないが、レーベルの美しさに惹かれたという些か不純な動機である。

ユリア・クルプのVictor録音はRomophoneから復刻CD[1]が出ている。それ以前のOdeonやAnkerの録音は半数ほどが[2]に入っているらしいがボクは持っていない。
そこで、この機会にいつもの編年体ディスコグラフィーをまとめ、彼女のレコーディングの全体像を眺めることにした。

まずOdeonについてはChristian Zwargのオンライン・ディスコグラフィー[3]を参照した。
Ankerついてはみずほさんのブログのレーベル写真を参照した。
Victorはアルマ・グルックと同じくUCSDのデータベース[4]を元にして、上記の復刻CDのリストを参照した。
1914年のGramophoneと1926年のElectrolaについてはケリーのジャーマン・カタログ[5]を参照した。
こうして大体の骨格を作ったが、その後、以前mr.hmvさんからいただいたRC誌のディスコグラフィー[6]があるのに気づき、足りないデータを補完した。[6]には未発売テイクがたくさん載っているが、煩雑になるので[4]にあるもののみとし残りは割愛した。
Victor以前の録音年代に関して、それぞれの文献で相違が見られるものについては併記した。

作る過程で、Odeonの「女の愛と生涯」が二組あることを知った。2回目のベルリン録音はSymposiumの復刻CD[7]を持っているが、最初のアムステルダム録音は見たことも聴いたこともない。
そもそもxAなるマトリクスは初めて見た。Aはアムステルダムの意味であろうか?

また、Du bist die Ruh'がヒストリック・マスターズから出ていることに気づき、そういえば、うちにクルプが1枚あったな、と引っ張り出してみればHM84であった。
Odeon盤とAnker盤を指定どおり74rpmと78rpmで聴き比べると、ピッチは同じように聴こえたので回転数はこれで正しいと思う。
出来栄えは、前者の方が初々しい、というか緊張しているように聴こえる。後者はそれに比べて滑らかに歌っている。
1915年のVictor録音ではさらに洗練され、完成度が高くなっているのであるが。

でも両方とも、あらえびす[8]の言う「温籍優雅」の世界である。
さらに彼の表現を借りて手抜きをすると、「多くの女流人気歌手が、ややもすれば娼婦型の魅力に専念するのに対して」、「女性歌手にはありそうで滅多にない母性の尊さを感じさせるものがある」のである。

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by ibotarow | 2013-02-02 17:13 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 14日

アルマ・グルック ディスコグラフィー その2

その1からの続きです。

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by ibotarow | 2013-01-14 11:41 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 14日

アルマ・グルックのCanzonetta (Loewe)

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アルマ・グルック(1884-1938)はボクの中で、派手な感情表現を得意とする大ソプラノ歌手達の陰にかくれて目立たない存在でしたが、先日マーストンから来た、もうすぐ絶版になるCDリストという親切なお知らせにまんまと乗せられ、ヨハンナ・ガドスキ、エウジェニア・ブルツィオ、コンチータ・スペルヴィアなどの絶滅危惧種とともに買ったのでした。
それからひと月ほど、通勤の車の中で繰り返し聴いて、他の大歌手にはない楚々とした美しさに魅せられました。中でもお気に入りは、表題のCarl LoeweのCanzonettaです。幸いYouTubeにありますので、まあ一度聴いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=r9q4zmo-SXc

その後、縁あってVictrola 657の両面盤を入手しました。声の美しさもさることながら、ハープの音がとてもきれいに捉えられています。ヴァイオリンのピチカートもそうですが、弦を撥く音はラッパ吹き込みでも驚くほど生々しく聴こえるようです。

これを記念していつものように録音セッション毎の編年体ディスコグラフィーを作ることにしました。Canzonettaが彼女のレコーディング歴の中でどの辺に位置するのか知りたかったからです。
Victorは、カリフォルニア大サンタ・バーバラ校にマトリクス順のデータベース[1]があるので打ち込む手間がかなり省けます。これとマーストンの復刻CD[2]のtrack listでとりあえず作りましたが、カタログ番号がわからないし、Victor以外にもあるのかないのかよくわかりません。そこでmr.hmvさんに泣きついてお借りしたRC誌所収のディスコグラフィー[3]を参考に、足りないデータを補完しました。互いに矛盾するところやテイク・ナンバーの記述の足りないところが何箇所かあったので、Bolig[4]を見てクロスチェックしました。(字数オーバーのため2つに分割しました。)

mr.hmvさんからは[3]以外にたくさんの関連資料も貸していただきました。ここに厚く感謝の意を表します。

References
[1] Encyclopedic Discography of Victor Recordings, http://victor.library.ucsb.edu/index.php/talent/detail/28182/Gluck_Alma_vocalist_soprano_vocal
[2] Alma Gluck, Marston 52001-2 (1997)
[3] Edward H. Pearson, "Alma Gluck", The Record Collector, Vol. 43, No. 4 (Dec. 1998) 257-269.
[4] John R. Bolig, "The Victor Red Seal Discography Volume I Single-Si ded Series (1903-1925)", (Mainspring Press, Denver, Colorado, 2004) ISBN 0-9671819-8-4

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by ibotarow | 2013-01-14 11:34 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(2)
2011年 08月 01日

フェリア・リトヴィンヌのサムソンとデリラ

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Félia Litvinne、本名Françoise-Jeanne Schütz、1860年St Petersburg生まれ(11 October 1863の説もあり)。
父はロシア人、母はフレンチ・カナディアン。母の強い影響で、フランス人として育つ。
彼女の3歳年上の姉Hélène Schützは、フレンチ-ポリッシュ・バスのEdouard de Reszkeと結婚。
1893年に、彼女はDr. Emmanuel De Poixと結婚し、歌手のキャリアが中断したが、それは長くは続かなかった。
1895年にマルセイユでカムバックした。
その後Alfred Cortot は、リトヴィンヌのいたパリThéâtre du Château d’Eau の指揮者となった。

話の発端は、「みずほの部屋」さんのブログ[1]で拝見した、コルトー伴奏のリトヴィンヌG&T 33160、サムソンとデリラ。垂涎の盤である。

リトヴィンヌのG&Tで思い出すのは、数年前、ハロルド・ウエイン伝で読んだ、フランスの大コレクターのパリの銀行の地下室に保管されたレコードを受け取りに行くときの話である。拙訳[2]を再掲すると、

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フランスも、いくつかの大きなコレクションのソースを提供した。それらの中で有名なのは、1967年のComte De Bryのコレクションである。彼のコレクションは、パリのGrand National Bankに保管されていた。
ハロルドは、レコードを調べるために、アルベリッヒのようなピグミー・サイズの人間(彼らの小さな像が、それらの閉ざされた地下トンネルには必要であったのである)を伴って、地下2階の保管室に降りた。
レコードは安全にロックされていた。カバー無しに積まれていた。
一枚しか存在しないVictor CapoulのJocelynや、Marie de ReszkeのLe Rossignol(Gounod)の1905年のパリ・フォノティピア、それにLitvinne G&Ts, Maurel G&Ts, 究極のミントコンディションのBattistiniのLa mantilla、Ackte Zonophoneなどがあった。
問題は、どうやって運び出すかであったが、フィルム缶に入れて、それらを地表まで運ぶことで解決した。
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リトヴィンヌG&TのようなMajor Rarity(大珍品)ともなると、聴かずに銀行の貸金庫に預けるものらしい。

それはともかく、リトヴィンヌは、1902年12月29日、G&Tに、コルトーの伴奏で8面を吹き込んだ。
マーストン[3]曰く、「フェリア・リトヴィンヌは大女だった。人としても声に関しても。」
このセッションの録音は、機械が想定外の津波のような大声に耐え切れず、みんな声が歪んでいる。

それもあってか、彼女は翌1903年に、同じ8面を吹き込み直した。d0090784_15595090.jpg
したがって、同じカタログ番号で2種類のマトリクス番号が存在する。
1903年のレーベルには、伴奏者はコルトーと記載されている。
ケリーのフレンチ・カタログにも、両セッションともコルトーと記載されている。

ここで右の写真が登場する。この写真は[3]から取ったが、元々の出典は、
未見であるが1953年のRC誌[4]である。
この写真は、パリのG&Tの録音スタジオで、怖い顔をして仁王立ち?
した歌手が、稀代のドラマティック・ソプラノFélia Litvinneである。

彼女の後ろに、大きなポスターが貼ってあって、Tamagnoの文字の下に、6行、名前らしきものが見えるが、一番上と一番下は判読できないが、2行目からはかろうじて、Caruso, Calvé, De Lucia, Kubelikと読める。

また、左壁のポスターの女性は、Sarah BernhardtのライバルGabrielle Réjaneかと思ったが、彼女はG&Tに吹き込んでいるのだろうか?少なくともケリーのフレンチ・カタログには見当たらない。

Réjaneを別にすればポスターに登場するアーティスト達は、みんな1902年から1903年初めにかけて吹き込んでいる。
録音スタジオには最新のポスターが貼ってあるだろうと考えると、この写真が撮られたのは1903年だと考えるのが妥当であろう。
というわけで、1903年のセッションのピアニストは女性で、コルトーではないというのが定説らしい[5]。

もちろん反対意見もあって、さる大コレクターの微妙な言い回しを、正確を期するため、原文のまま引用する。
"Still, the playing here sounds to me like a major pianist at work, not unlike Cortot in the first take (1902)."

先日来、両セッションの8種を交互に並べたCDRを作り、ピアノの違いを聴いているところであるが、これがなかなか難しい。
リトヴィンヌのパワフルな歌唱の陰にあるか細いピアノを聴くのは、まるで北斗七星の柄の端から2番目、ミザールの伴星アルコルを見つめるような困難さがある。


下に、マーストンの復刻CD[3]のリストをもとに、Wittenの記事[5]で補完したディスコグラフィーを示す。
オデオンの録音年はChristian Zwarg[6]に従った。
現物が確認されているのは35面、1903年のプライベート・シリンダーと、パテ・シリンダー5本は、Girard & Barnes[7]にのみ登場する。
Fonotipiaは他にもあると言われている。事実、39060 Ich grolle nichtは、長年その存在が噂されていたが、1990年の終わり頃になって1枚のコピーが発見された。
また、オデオン盤にはパテに対抗するために、縦振動にカットし直したPhrynis盤が存在する。

サムソンとデリラ第2幕から、Mon coeur s’ouvre à ta voix「あなたの声に心は開く」は3回吹き込んでいる。

sophia_gluckさんによる日本語訳[8]をフランス語の原詞に無理やり対照させると、

Mon coeur s'ouvre à ta voix,      あなたの声に心は開く
comme s'ouvrent les fleurs       花が開くように!
Aux baiser de l'aurore!          夜明けの口づけに
Mais, ô mon bienaimé,          でも いとしいあなた、
pour mieux sécher mes pleurs,    私の涙を乾かすために
Que ta voix parle encore!        もっとお声を聞かせて!
Dis-moi qu'à Dalila             デリラに言って!
tu reviens pour jamais,          戻ってくると
Redis à ma tendresse           もう一度言って、
Les serments d'autrefois,        昔の誓い、
ces serments que j'aimais!       私が好きだったあの誓いのことばを!
Ah! réponds à ma tendresse!     ああ! 私の愛に答えて!
Verse-moi, verse-moi l'ivresse!    酔わせてください!
Réponds à ma tendresse!        私の愛に答えて!
Réponds à ma tendresse!        私の愛に答えて!
Ah! verse-moi, verse-moi l'ivresse! ああ!酔わせてください!                 

これは、デリラがサムソンを籠絡して弱点を聞き出そうとするときの官能的なアリアである。
本来メゾソプラノが歌うが、リトヴィンヌの豊かなメゾからアルトの声域が聴かれる。

下のリストから抜き出すと、
1902, Paris, G&T [1360 F] 33160   
1903, Paris, G&T [2254 CS] 33160X
1910, Paris, Odeon [XP 5022] 56219
である。

2枚のG&Tsは、ボクごときにはとても手が届かないが、3枚目のオデオン盤はなんとか入手できた。
1910年のオデオンになると録音技術も進歩し、彼女の声はかなり良く捉えられているが、それでもクライマックスのハイGフラットでは、完全に機械がオーバーロードとなり、ひどく歪んでいる。
と、マーストンの復刻CDのライナーノートに書いてあった。

マーストンは、excruciating blasts of distortionと言っている。直訳すると「耐え難いほどの歪みの爆風」。
写真の盤を聴いてみると、なるほど、最後の"Ah!"のところで盛大に歪んでいる。木星の輪のような白っぽいリングが爆風部分である。ルーペで見てみると、隣の溝との壁がところどころ無くなって、島嶼の連なりのようになっている。げに恐ろしきはリトヴィンヌのフォルティッシモ。

ただしマーストン盤では、上の当該部分が、マーストンの魔法によって修復されている。
これはこれで楽しめるが、復刻CDはオリジナルを忠実に転写すべきという観点からすると、SYMPOSIUM盤[9]のように、歪んだまま復刻してくれた方がありがたい。法隆寺金堂壁画の模写のように。

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by ibotarow | 2011-08-01 07:20 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(2)
2009年 10月 17日

アーベントロートの「セビリアの理髪師」ロジーナのアリア

d0090784_8581443.jpg
いかなる天の配剤にやあらん、2枚目のアーベントロートを入手した。
有難いことである。畏れ多いことである。さっそく聴いてみる。

その前にアーベントロートのディスコグラフィーをおさらいしておくと、

Black G&T Dresden, 1902
7-in.

(1) 2278B-Nq-2z 43181 Auf Flugelm des Gesanges (Mendelssohn) ○
(o) 2286B-N.-2z  43038 Vergebliches Standchen (Brahms) △
10-in.
(o) 766x-D1-2z  43243 Troubadour: Ein unnennbares Sehnen (Verdi) IRCC 3065 □
(o) 767x-D1-2z   43244 Semiramide: Bell raggio lusinghier (Rossini) IRCC 189 and IRCC 1065 □
(o) 768½x-N1-2z 43245 Mignon: Arie der Philine (Thomas) □
SC=787x½ N2-2z 43249 Die Huguenotten: Arie der Konigin (1st part) (Meyerbeer) IRCC 3065 ○
788x-N2-2z     43248 Figaros Hochzeit: Rosenarie (Mozart) ○
(o) 795x-N1-2z   43250 Barbier von Sevilla: Arie der Rosina (2nd part only) (Rossini) □

現在までに存在が確認されているのは、この8面である。
今回入手したのは、最後の43250 [(o) 795x-N1-2z]である。
これは「セビリアの理髪師」から、有名な"Una voce poco fa"で始まるロジーナのアリアであるが、このレコードには、後半のコロトゥーラの見せ場のみが収録されている。

まずコンディションは、2年前に入手したトマの「ミニヨン」フィリーヌのアリアをはるかに上回る。
グレー化はまったく認められない。
ディンプルはいくつかあるが、これは黎明期のプレスの、愛でるべき特徴でもある。

見た目は、オークション・カタログの説明通り、
Perfectly clean surface 2+
であるが、音はところどころ割れる。元々、過大入力でレコーダーの振動系が歪んでいるのであろうか。

アーベントロートの声は、復刻CDに比べて、ずいぶん近くで歌っているように聴こえる。
これは、鮮明で生々しいともいえるし、アラが目立つともいえる。

アーベントロートの復刻CDを聴いて、この世のものとは思えないほど美しい、気品匂うがごときである、と感じたのは、あばたもえくぼ、夜目遠目笠の内のたぐいかと、前回、フィリーヌのアリアを聴いてそう思ったが、それは復刻に使われた盤がミント・コンディションであったためであろう、と思い直した。

今回のロジーナのアリアは、前回より格段にコンディションの良い盤であったが、

花はさかりに、アーベントロートはオリジナルをのみ聴くものかは。


復刻CD
△ “The First Opera Recordings 1895~1902 A Survey”, SYMPOSIUM 1318 (2002).
○ “from the YALE COLLECTION of HISTORICAL SOUND RECORDINGS”, SYMPOSIUM 1135 (1992).
□ “The Harold Wayne Collection Vol. 6”, SYMPOSIUM 1085 (1990).
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by ibotarow | 2009-10-17 09:15 | 女声_ラッパ吹き込み | Trackback | Comments(5)